定義
対立関係にいる相手が困っている際、それにつけ込んで倒そうとするのではなく、あえて援助を行って苦境から助け出そうとすること。
ことわざが作られた背景
内陸の甲斐と信濃を領国としているため自国では塩を産出できず、その塩の輸送路を今川氏真や北条氏康によって断たれて困っていた武田信玄に対し、ライバルであるはずの上杉謙信が塩を送って助けたという故事に由来する(塩分の摂取過多こそ問題になっている今日では考え難いが、そもそも塩は生命維持に不可欠な物質であり、肉体労働で汗を流す人々がほとんどだった当時であれば塩を絶たれるのは深刻な事態であった)。
もっとも、現在の歴史研究では、元々越後の商人は甲斐へ塩を流通させる商売を行っており、別に謙信が積極的に塩を送った訳ではないとされている。禁輸措置によって自領の経済が滞る事を嫌った謙信がそれを禁止しなかっただけ、と言う可能性が高いのだ。
そもそも武田への塩止めは今川氏真の主導によって行われたのだが、その原因は、信玄が今川家との同盟を一方的に破棄し、駿河侵攻を強行した事による報復措置である。
そのために、今川と婚姻関係を結んでいた嫡男を自害にまで追い込んでおり、ぶっちゃけ自業自得以外の何者でもない。
謙信はこのように謀略を駆使する信玄を極度に嫌っていたと言う説もあり、(あくまで一説ではあるが)この場合、信玄のために塩を送る理由など全くない。
ただ、信玄は謙信に感謝し、その証として謙信に贈ったとされる「塩留めの太刀」が現在まで残っていることからして、謙信の思惑はどうあれ信玄がこの措置に恩義を感じていた可能性は高い。
創作作品における『敵に塩を送る』
本来の意味としては前述の通りだが、創作作品においてはサッカーのオウンゴールのように『結果的に敵対者の助けになるようなことをしてしまう』という意味合いで用いられることもある。
後日談
信玄と謙信の他界後、信玄の後継者・武田勝頼は謙信の後継者・上杉景勝と同盟(甲越同盟)を締結する。その際、同盟の証として勝頼は異母妹・菊姫を景勝と結婚させた。
要するに、信玄と謙信の死後、信玄の後継者が謙信の後継者に妹を送った(嫁がせた)のである。