概要
昌泰4年(901年)に藤原時平が醍醐天皇に対して讒言をし菅原道真を大宰府に左遷させた事件。
内容
先代の宇多天皇は寛平の治という親政を設置し政務に菅原道真を参加させた、寛平9年(897年)に天皇は皇子敦仁親王(醍醐天皇)に譲位し上皇となり天皇の政務には藤原時平と菅原道真が就き時平は左大臣、道真は右大臣となる、道真が上皇から信頼を受けていたことで不満を持つ貴族が多くなった。
昌泰2年(899年)に宇多上皇が出家して法皇となり政務に参加することが減り、時平が率いる天皇派が動き出し昌泰4年(901年)に天皇に対し道真が天皇を退位させ天皇の弟斉世親王(妃は道真の娘寧子)を擁立させようとしていると伝えた、天皇は時平の讒言を信じ道真を大宰権帥に左遷を命じた、事態を知った宇多法皇は天皇に会うため宮廷に向かうが門を近衛兵に阻まれ中に入ることが出来なくなった、後日道真は大宰府に流され延喜3年(903年)に死去。この政変によって天皇派の勝利で終わった。
事件後
事件後は時平と天皇が政治を行うが延喜9年(909年)に時平が死去し政治の実権は弟忠平に移った。