概要
東京都の郊外、狛沢市(または駒沢市)にある大学。
新王京線 狛沢明早大前駅徒歩10分の所にキャンパスがある。
自転車競技部は名門で、先輩の判断は絶対と言うほど規律が厳しい。
自転車競技部
中学時代からコンビを組んでいた福富寿一・新開隼人が高校卒業後に共に進学し入部。しかし、インターハイで敗北した噂が流れていたことを聞き、その噂を実力で覆すことを決意する。
一方、石垣光太郎も当初は親の反対もありながらも進学を認めてくれたことで、自転車では名門と言われている同大学に進学、当初は知り合いがいなく慣れない東京の生活でホームシックにかかっていたこともあり入部を躊躇っていたが、福富・新開と偶然再会したことをきっかけに入部する。
元箱根学園自転車競技部主将でエース。法学部。愛車はジャイアント。
元箱根学園自転車競技部エーススプリンター。経済学部。愛車はサーヴェロ。
元京都伏見高校自転車競技部主将でエースアシスト。学部は不明。愛車はアンカー。
盾崎在近(たてざき ありちか)
明早大3年のエース。登場当初顔ははっきりとは描かれずメカクレ状態だったが、SPARE.113で素顔が明らかとなった。福富らの大学デビュー戦となる秋沢湖ロードレース大会では洋南の見原と、次戦の筑波山でのレースでは筑士波大学の東堂尽八とのゴール争いを繰り広げている。秋沢湖レースでの福富ら3人の力を買い、次戦の筑波山レースでは他の部員の反対を押し切って3人をアシスト役に起用している。
縞田
明早大のアシスト。彼もまた顔ははっきりと描かれてないが、唇が厚くサングラスをかけている。秋沢湖ロードレース大会のスタート前に福富ら1年に勝手に動くなと釘を刺す。しかし5周目に落車に巻き込まれた。次戦の筑波山レースは別のレースに出場のため不参加。
成田
自転車競技部に所属する箱根学園OBで福富らの2学年上の先輩。眼鏡をかけており、新開よりも背が高い。箱学時代はレギュラーではなかったがスプリントが速かった。
新開が挨拶に出向いた際に「インターハイで負けた箱学史上最弱な2人が来る」と噂になっていたことと、もしかしたらという前提で1年生の間はジャージを着れないかもしれないことを伝えると同時に二人のことを心配し、二人のために頑張って火消しをしてくれていた。
その他人物
桑葉(くわば)
福富と同じ法学部に在籍する新入学生。福富のリュックにぶら下げていたヘルメットを見て声をかけ、サイクリングに誘おうとしていた。その後「東海道研究会」というサークルに入ってることを明かす。
乗ってる自転車は入学祝いで買ってもらったというSCOTTのクロスバイクだが、当の本人はあまり自転車に詳しくない模様で、夏休みに福富を誘いサイクリングに出かけた際に福富のGIANTを「ジーアンティ」と読んだり、自身のクロスバイクですらスコットではなく「スコート」と呼んでいるほど。
福富の会話は基本少なめだったので、所々に四角枠で「○○と思っている」と補足説明が入っていた。
余談
新開がハンドルを握るワゴン車は部の車両で、車体に大きく校名+部名(便宜上ロゴマークと称す)が入っており、唯一のMT車である(福富は免許の事情でこの車は運転できない)。部にはこのほかにワゴン1台とバン1台(共にAT車)とロゴマークのないバンがもう1台あり、レースや練習であればガソリン・高速代自腹で自由に使用できるが、私用での使用は厳禁である…とは言いつつ、引越しなどで使われている噂がある。
福富らのチームメイトだった荒北靖友は静岡県にある洋南大学に進学。偶然ではあるが、元総北高校の金城真護、元広島呉南の待宮栄吉とチームメイトとなっている。
同じく箱学でチームメイトだった東堂尽八も当初は明早大を志望校に決めていたが、諸々の事情で茨城県の筑士波大学に志望校を変更、のちに中学時代の親友で、中学卒業と同時に親の都合で引っ越して埼玉の高校に進学していた糸川修作や元総北の田所迅も同じ大学に進学したことも明らかになる。なお田所も当初は明早大を志望校にしていたが、受験に失敗し筑士波大へ進学している
一方、石垣のチームメイトだった井原友矢と辻明久は地元に残った模様だが卒業後の進路は不明。