概要
70~80年代にかけて『機動戦士ガンダム』『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』等数多くのアニメ脚本を手掛けたヒットメーカーの一人。
富野喜幸、神田武幸、高橋良輔らとほぼ同期にアニメ業界に入った、いわゆる虫プロ出身者の一人。最初はりん・たろうに師事して作画も行っていたが、同期の凄腕軍団を目の当たりにして文芸部に転向。虫プロの経営危機を転機に、フリーターをしながらシナリオ学校で学びなおしを行ってフリーの脚本家となった。
「アニメに求められることは案外、普遍性である」と公言し、食事をする、風呂に入る、笑う、怒る、泣く、など人間の基本的な営みをストーリーに入れて、フィクション的出来事と必ず対比させるということは指南本でも再三書き続けていた。
また古き良きヨーロッパ映画のテイストを好んでおり、『ガンダム』におけるカイ・シデンとミハル・ラトキエの悲恋物語は1948年のイタリア映画『自転車泥棒』のような話がやりたいという発案から来たのは有名な話である。
富野が『∀ガンダム』を手掛けるときに最初に声をかけた人物でもある。