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最後のシ者

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さいごのししゃ

アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビシリーズ第弐拾四話(第24話)サブタイトル。または同エピソードに登場するキャラクター「渚カヲル」のこと。

予告

町は消え、友人は去り、傷心のシンジに少年が微笑む。

彼のさわやかな風のような笑顔に溶け込むシンジ。だが彼らには過酷な運命が仕組まれていた。

次回『最後のシ者』

(テレビ版)

少年が守っていた町は消え、少年が心を寄せていた友人は去り、少年が心惹かれていた少女らは恐れと変わった。

心の依り代を失ったシンジに夕暮れの中、新たな少年が微笑む。彼のすべての罪を包み込むような笑顔に溶け込むシンジ。

だが彼らには過酷な運命が仕組まれていた。

次回『最後のシ者』

(DVD版)

「最後のシ者」

TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の第弐拾四話(24話)のサブタイトル。1996年3月13日放送。

英題は The Beginning and the End, or "Knockin' on Heaven's Door"(訳:始まりと終わり、もしくは「天の扉をたたく」)

または、このエピソードに登場する「渚カヲル」のことを指す。

「シ者」という表記は、「死者」と「使者」をかけている。

また、「シ」をさんずいに見立てて「渚」。渚カヲルの名の由来でもある。

脚本は庵野秀明と薩川昭夫による。庵野は絵コンテも担当。

TVアニメ版では、絵コンテ演出作画監督摩砂雪が手がけた唯一のエピソードとなっている。

概要

有名な台詞「歌はいいね」「好きってことさ」「リリンの生み出した文化の極み」「僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない」等はこの24話に登場する。

この24話でいきなり登場し、一話限りでの死亡退場ながら絶大な人気を誇った渚カヲル及び同話は「1クールのレギュラーより1回の伝説」の手本として現在も非常に有名なエピソードとなっている。

クライマックスにBGMとして第九が流れる演出、初号機に搭乗した碇シンジが右手でカヲルを握り締めたまま、放送事故レベルの長い時間(約1分)画面が固まる演出などが話題を呼んだ。

この24話でついに庵野秀明がぶっ壊れてしまい、続く2話では物語が完結せず、所謂「旧劇場版」で結末まで改めて描かれることとなった。

ついでに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を作った後にも庵野はうつ病となった。

碇シンジが庵野の分身である以上、[渚カヲルを殺すと庵野自身もシンジが作中で受けるのと同等のダメージを食らうのかもしれない。

次回予告

最後のシ者は消えた。だがシンジは苦悩する。

そしてミサト、アスカもまた心を吐露する。

人々に救いを求めながら。これも、終局の一つの形であることを認めながら。

次回、『終わる世界』

最後の使徒は倒した。だが現実に対処できないシンジは固く心を閉ざしてしまう。

そして約束の時が来る。迫りくるネルフ全滅の危機、死の淵へ追い詰められるアスカ。

レイと共に発動へと導かれる人類補完計画。

己の現実に抗い、夢を受容する人々の頭上にエヴァシリーズが舞い降りる。

暴かれる欺瞞をあざ笑うかのように。

次回、『Air』

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