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李文亮

りぶんりょう

李文亮(1985年10月12日 - 2020年2月7日)とは、中華人民共和国の眼科医、遼寧省北鎮市出身、中国共産党の党員と中華民族の民族英雄たち。2019年新型コロナウイルスによる肺炎の流行の時、医療関係者として内部告発した最初の数人のうちの1人であり、この肺炎の犠牲者の1人でもある。「ネット上で虚偽の内容を掲載した」として、2020年1月3日に訓戒処分を下されたが、中国政府は国民からの猛反発を受けることとなったた、本人の逝去後が3月5日、新型肺炎の抑制に模範的な役割を果たしたとして表彰した。
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概要編集

李文亮は中華人民共和国遼寧省北鎮市の貧しい家庭に生まれた。父親は北鎮市の整備工場で、母親は北鎮市民族商場で働いていたが。1990年代、李の両親はともに解雇され、父親はパートタイムで働いて家計を支え、定職には就かなかった。李文亮は高校時代に北鎮市高級中学に通い、優秀な成績を収め、2004年に大学入学試験で武漢大学に入学し、臨床医学(7年制)を専攻し、修士号を取得した。2年生の時に中国共産党への入党を許され、2011年に大学を卒業し、厦門大学の眼科センターに入局した。厦門で3年間勤務した後、2014年に武漢に戻り、武漢中央病院に勤務した。武漢中央病院眼科の元研修医が回想しているように、李文亮医師は患者に対して非常に忍耐強く、患者が難聴だからといって焦ることはなかった。


微博の内容によると、李文亮は生前が食べ物を好み、鶏の足の唐揚げや卵ダンクが大好きで、様々な電子製品の愛好家だった。日本アニメを楽しんでなく、テレビドラマやマーベル映画も好きだという。


訓戒処分事件編集

2019年12月30日午後、勤務先の病院である患者からSARSコロナウイルスが検出された検査結果を見つけたため、同日午後5時43分に大学の同級生らのWeChatグループで「華南海鮮市場で7人のSARS感染者が確認された」と発信し、その直後に患者の検査結果と肺のCT検査の写真も送った。同日午後6時42分に「コロナウイルスの感染が確認され、どのタイプかまだ調査中」と補足した。


しかし、「インターネット上で虚偽の内容を掲載した」として、2020年1月3日に武漢市公安局武昌区分局の中南路派出所に呼び出された。そこで懲戒書への署名を求められ、訓戒処分を下された。


メディアは当初、李文亮が「デマを散布した」8人のうちの1人と見なし報道したが、その8人は1月1日に呼び出されたため、李氏は報道における8人に含まれていないとみられる。李はのちにメディアのインタビューで、自分が真実だけを話したのに処分を受けたと答えた。


その後、引き続き武漢市中心医院で働きコロナウイルス流行への対応にあたっていたが、自身もコロナウイルスに感染し1月12日から入院生活を送ることとなった。入院中の1月31日、ようやくSNSで懲戒書をアップロードし、警察に呼び出された経過を詳しく述べることができた。


新型コロナウイルス感染と逝去編集

2020年1月8日、高齢の緑内障患者を診察したが、翌日にこの患者に発熱や肺炎の症状が現れたため、この患者が新型肺炎を患っていると強く疑った。1月10日に、自身も咳や発熱などの症状が現れたため、1月12日から集中治療室で隔離治療を受け始めた。入院から1月30日まで何度も核酸検査を受けていたが、陽性との結果は出なかった。2月1日に感染が確認され、同日に彼の両親や数人の同僚医師の感染も確認された。


2月6日夜に、中国国内の複数のメディアは李文亮が武漢市内の病院で亡くなったと報道した。メディアによると、午後9時30分に心停止が発生し、その後も体外式膜型人工肺(ECMO)による救命措置が続いた。


2月7日2時58分、勤務先の武漢市中心医院は李文亮の逝去を発表した。


逝去後、李文亮は武漢の九峰山烈士陵園に埋葬された。


関連タグ編集

中国人

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医師

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