概要
1921年では対ロシア・中国、1927年には対中国について論議している。
田中義一は1921年では陸軍大臣として、1927年では総理大臣として関わっている。
1921年
日本軍のシベリア駐留や間島出兵、山東還付問題などにおける政府と参謀本部が対立した諸問題について原内閣は論議した。
この東方会議は1921年5月16日-25日まで続く。
この会議では以下のことが決定した。
- シベリア出兵を中止してウラジオストクから撤退。極東共和国との外交交渉を始める。
- 朝鮮独立派や満洲独立派の取締を強化。
- 張作霖は支援するが満洲経営の必要範囲内に留める。
- 満洲における日本利権の確保と方針を統一するため、関東庁・関東軍・朝鮮総督府・現地領事館・南満洲鉄道などが協議を持つこと。
- 経営が悪化している東支鉄道に対して支援を行い、南満洲鉄道との直通運転を強化する。
- 山東鉄道沿線から撤兵を図り、将来的には青島のみの駐在に留める。
- 日本単独の借款は避け、今後はアメリカ・イギリス・フランスとの4カ国共同の「4カ国借款」に切り替える。
本会議に参加しなかった参謀本部だがこれに従うことに合意した。
1927年
若槻内閣は外相・幣原喜重郎の幣原外交によって南京事件を引き起こした北伐軍に対し武力対決の姿勢をとることはなかった。
田中内閣では弱腰外交であるとして批判されたこの対応を翻し、居留民保護のために、山東省に兵を送る強硬路線に走る。中国での利権をいかに保護するかが論議された。
この東方会議は1927年6月27日-7月7日まで続く。
この会議では以下のことが方針が決定する。
- 中国本土については穏健分子・国民党を支持して不逞分子・共産党を鎮圧させることを図り、現地居留民の身体・財産の積極保護方針をとる。
- 東三省については、中原政権による潜在主権は認めるが日本の特殊の地位と権益の防護する他、治安維持の覚悟を持つ。
- 排日排貨運動に対しては日本への疑惑を単に排除するだけでなく機に応じた措置をとる。
- 満蒙においては、日本の特殊地位・権益侵害の恐れがあれば、どこからのものであっても断固として必要な措置をとる。
中国に対して積極的に日本の利権を主張することが基本方針となった。