概要
現在の琉球新報の祖にあたる旧「琉球新報」は、首里出身の尚順、高嶺朝教、太田朝敷ら旧支配層によって創設された。社内分裂も経ながら、3紙統合がなされた沖縄戦直前まで生き延びたのも、経営者が資産家であったこと、また県当局に妥協し、民権運動を弾圧するなど事大主義的な編集方針が幸いしたといわれている。1940年に「沖縄朝日新聞」「沖縄日報」とともに「沖縄新報」に統合され、沖縄戦の混乱と共に姿を消した。
戦後「うるま新報」として創刊され、旧琉球新報の題字を改題復活させた新「琉球新報」はライバル紙である沖縄タイムスと共に沖縄県内では圧倒的なシェアを誇っている。故に県内で全国紙のシェアはあってないような物であり、沖縄で印刷を行っている全国紙は日本経済新聞のみである。しかも、それがスタートしたのは2008年11月からであり、さらにこの琉球新報が印刷を請け負っている。
放送メディアとの結びつきでは沖縄テレビとの関係が深く、逆に同じ琉球の名を冠する琉球放送、琉球朝日放送は沖縄タイムスとの結び付きが強い。
スポーツニッポンの沖縄版を「新報スポニチ」として印刷・発行を行っている。因みに本土のスポニチと違い、公営ギャンブルに関する面が全くない。