ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要編集

日本奈良時代末期から平安時代初期にかけて活躍した古代東北地方蝦夷の族長。モレと呼ばれることが多い。


延暦21年4月15日(ユリウス暦802年5月19日)、盤具公母禮は大墓公阿弖利爲とともに、種類500余人を率いて造胆沢城使・坂上田村麻呂の下に降伏した。盤具公母禮の名前が史料にはじめてみえ、蝦夷の族長であったと思われるが、盤具公氏がどこを本拠地としていたかなどは不明である。


延暦21年7月10日(ユリウス暦802年8月11日)、坂上田村麻呂にともなわれて大墓公阿弖利爲とともに平安京へと向かう。ただし「田村麻呂来たる」とのみあることから、平安京に「入京」したとは考えられていない。


延暦21年8月13日(ユリウス暦802年9月17日)、坂上田村麻呂は「この度は願いに任せて返入せしめ、其の賊類を招かん」と申したが、公卿は執論して「野生獣心にして、反復定まりなし。たまたま朝威に縁りてこの梟帥を獲たり。もし申請に依り、奥地に放還すれば、いわゆる虎を養いて患いを残すなり」と申し、公卿の意見が取り入れられたため捉えられ、盤具公母禮と大墓公阿弖利爲は河内国椙山(現・枚方市交野市寝屋川市守口市門真市四條畷市大東市東大阪市八尾市柏原市松原市藤井寺市羽曳野市富田林市河内長野市大阪狭山市太子町河南町千早赤阪村大阪市の一部、堺市の一部のどこか)で斬られた(斬られたという史料の記述が、処刑とは限らないとする見方もある)。


関連キャラクター編集

『神咒神威神楽』編集

天魔・母禮

天魔・母禮

CV:瑞沢渓(CS版) / かわしまりの(PC版)


関連タグ編集

蝦夷 アテルイ 坂上田村麻呂

関連記事

親記事

平安時代 へいあんじだい

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました