概要
中世の武将楠木正成の出身地であり、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げると、これに呼応して千早城・赤坂城で幕府軍を迎え撃ったことで知られる。周囲を金剛山や棚田などの自然に囲まれた歴史と観光の村である。ただし、村内にはコンビニが一軒もない。
2002年に周囲にある富田林市・太子町・河南町との間で合併協議がなされたが、合併方式をめぐって対立し協議は解散、2008年には河内長野市との合併に向けて法定協議会設置議案が村議会で可決されたが、翌年に河内長野市への編入合併に関する議案に対して反対意見が村議会から多数出され、河内長野市への合併も無くなった。
人口はおよそ5300人。2014年4月に過疎地域に指定され、大阪府最初の過疎地域となったが、金剛バスと南海バスがそれぞれ富田林駅と河内長野駅から村内を結んでいる。
市外局番は「0721」、市内局番は「72」。くっ
観光スポット
- 下赤坂の棚田(日本の棚田百選に指定されている。)
- 下赤坂城址(何と中学校の裏手にあり、棚田を見下ろす場所に城址がある。しかし城の遺構はほとんど残っていない。)
- 千早城(日本100名城のひとつ。鎌倉時代、楠木正成によって金剛山の中腹に築かれた山城。当時は堅牢な要塞として機能し、正成は奇策を用いて幕府軍を撃退した。)
- 金剛山(大阪府と奈良県の県境に位置する山。標高1125mで大阪府で最も高い。大阪や奈良からの登山客も大勢訪れている。)