概要
習合とは、哲学や社会学、文化人類学の分野で用いられる用語「シンクレティズム」の訳語の一つ。
シンクレティズムとは文化や政治、モラル、宗教など様々な分野における、複数のもの同士の混在、共存、混淆を指す。
異質なもの同士が混ざる事で新たな解釈が生まれ、新しい意味が付加されることも珍しくなく、習合前とは異なった姿に変容する。
日本語で「習合」と呼ぶ場合、ほぼ神話・宗教・信仰上のシンクレティズムを指す。
神仏習合やギリシャ神話とローマ神話の神々の同一視が習合の代表例である。
同じ宗教・神話体系においてもエジプト神話におけるアメンとラーが習合してアメン・ラーが生まれるというケースもある。
別の地域で信仰されていた神、別の時代に信仰が始まった神が習合した、という点では他宗教同士の習合と通じる所がある。
大国主やシヴァのように複数の神名と配偶神を持つ神についても、古代における習合の名残とする説もある。
習合は別の土地・宗教から個別の神・精霊への信仰が持ち込まれる事で起こることが多い。
ヘレニズム期の地中海近辺では異なる文化圏の交流を経てギリシャ・ローマの神々と、中近東・西アジアの神々が習合したり同一視されたりした。
これは平和的な習合の例であるが、カリブ海のブードゥー教や日本の隠れキリシタンのように他の信仰を持つ勢力の支配下・弾圧下で、元の信仰を守るためのカモフラージュとして他宗教の要素を取り込んだ例も存在する。
ブードゥー教では、奴隷として連れてこられ、しかも元の宗教を禁じられた人々が、故郷の西アフリカの神々をカトリックの聖人の装いをさせていたものがそのまま同一視された。
隠れキリシタンは観音像をマリア像に見立てる事(マリア観音)で信仰を隠していたが、やがて偽装のためであった仏教・神道の要素を教義自体に吸収し、元のカトリックと異なる「カクレキリシタン」に変貌するグループが現れた。
習合、宗教的シンクレティズム自体にも、それを受け入れられない人々にとっては単に自分の宗教への歪曲や妥協として映る、という要素がある。
この項目を見ている人の中にも、世界中の宗教・神話を合体させた現代の新興宗教については違和感を覚える人は居るのではないだろうか。
宗教以外のシンクレティズムにも言えることだが、習合が共生や共存にあたるかどうかは、それぞれの立場、受け取り方に左右される。