平安時代中期の公卿。藤原道隆の長男。藤原伊周・定子・隆家の異母兄。「山井大納言」と呼ばれた。
概要
天禄2年(971年)に道隆の長男として誕生。母は藤原守仁の娘。
正室の高内侍の長子である3歳下の次弟の伊周が道隆の嫡男に定められたため庶子として扱われた。
しかし、祖父・兼家に可愛がられていたこともあり兼家の養子となった。
舅で「山井三位」こと藤原永頼(藤原南家の藤原巨勢麻呂の子孫)の屋敷であった山井第を継承したため「山井大納言」と号した。
正暦6年(995年)、父・道隆や叔父・道兼の後を追うように死去。享年25。
官歴
寛和元年(985年)に従五位下、翌年の寛和2年(986年)に侍従、左兵衛佐、右少将となる。永延3年(989年)に左中将、蔵人頭、正暦元年(990年)に参議、従三位となる、権中納言、右衛門督を経て正暦5年(994年)に内大臣になった伊周の後継として権大納言となるが翌年に逝去したためこれが極官となった。