解説
「見上辰夫」とは、「キャプテン翼」のキャラクターである。
実は「もう一つの役割」があるのだが、詳細は下記に記す。
常にサングラスを掛け、皺の寄った顔が特徴。
この顔の皺の為にかなり歳が行っているように見えるが、実は「小学生編」開始当時で「34歳」設定だったりする。
それと「三上」と書き違えるファンが何故かかなり多いのだが、
「見上」である。
気を付けようね。
誕生日 | 9月30日 |
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血液型 | O型 |
所属 | 若林源三専属コーチ - 全日本Jr.ユース代表監督 - 全日本ユース代表初代監督 - U-18日本代表監督 |
CV | 飯塚昭三(昭和アニメ版) / 石塚運昇、増谷康紀:39話のみ、有本欽隆:「オランダユース編」(「J」版) / 立木文彦(2001年アニメ版) / 西村知道(2018年アニメ版) / 三宅健太(PS2版ゲーム版) |
「小学生編」より登場。
「若林源三専属コーチ」として、若林源三を全国屈指のGKとして育て上げた。
そう、「専属コーチ」なのである。
どんだけお金持ちやねん若林家!!w
また、コーチという立場ではあるが、若林の保護者的存在でもある。
若林に対する呼び方もかなり親しく「源三」である。
「南葛小対修哲小対抗戦」で、大空翼に得点されてしまい、延長戦があるにもかかわらず「勝負は終わった」と決めつけ帰宅しようとした若林に対し、鉄拳制裁を加え、
「甘ったれるな源三!!たかが一点取られたくらいで逃げ出すなんて、恥ずかしいとは思わないのか!?ワシはそんなコーチをした覚えはないぞ!?」
と叱責するシーンは有名であり、このことは翼との勝負にこだわっていた彼が修哲FCのキャプテンとして、ゴールキーパーとしての自覚と冷静さを取り戻すきっかけを与えた。
その後も、厳しくも優しく、怪我という苦難に遭ってしまった若林を見守り指導していく。
そして「小学生編」終盤、若林専属コーチを辞め、日本サッカー協会の勧めにより、西ドイツ(原作連載当時)へコーチ研修を受けに行くことになる。
そして若林に対し、
「お前もオレと一緒に西ドイツに行かないか」
と誘う。
こうして若林源三は、西ドイツへGK修行に向かうことになった。
そして………。
見上辰夫の現在と、その過去。
「中学生編」にて、大空翼たちが中学三年時の全国大会に、コーチ研修と、世界中のサッカー見聞を終え帰国した見上が現れた。
そして片桐宗政と共に、翼たちの戦いを見守った。
それは全国大会の後にフランスで行われる事になっていた「国際ジュニアユース大会」での、全日本Jr.ユース代表チームの選手選抜のためであった。
そして「Jr.ユース編」にて見上は「全日本Jr.ユース代表監督」に就任する。
まずは西ドイツに向かい、若林源三が所属する「ハンブルガーSV」との親善試合に挑んだ。
その裏で、若林源三に「全日本Jr.ユース代表チームの憎まれ役」を依頼しながら。
こうして「初めて世界に対峙した大空翼たち全日本Jr.ユース代表の苦闘」を見守りながら指導していくことになる。
そして「ワールドユース編」でも全日本ユース代表監督となる。
ところが。
突如、乱入してきた賀茂港と「リアル・ジャパン・7」と代表チームの「初衝突」の終了直後、腹痛を訴え救急車で運ばれてしまう。
病は軽く盲腸炎であったのだが、そのまま賀茂にユース代表監督を譲る事になる。
初めは監督就任を固辞した賀茂に対して、見上は語る。
オレたちの誓いを忘れたのか?
「日本のサッカーを、世界の頂点に」
見上は元・日本代表のGKであった。
賀茂港をキャプテンとし、片桐宗政を「若きエースストライカー」として擁しW杯予選に挑むも、惨敗してしまう。
そして賀茂、片桐、見上たちは誓った。
「日本のサッカーを、世界の頂点に」。
素質の優れた若林源三を直にGKとして育て上げ、また、西ドイツにコーチ修行に赴き、世界中のサッカーを見聞したのは、ひとえにこの「誓い」を果たすための行動であったのだ。
こうして見上は賀茂に全日本ユース代表監督を譲り、自身はコーチとしてその戦いを見守っていく事になる。
その後。
「GOLDEN-23」では「U-18日本代表監督(Jr.ユース代表に相当)」に就任。
「黄金世代」最年少である「沢田タケシ」をキャプテンとしてチームを指揮しつつ、タケシの「キャプテンとしての成長」を見守る事になる。
また「ライジングサン」では対ドイツ戦にて、片桐宗政や賀茂港と共に観戦、吉良耕三監督率いる「日本五輪代表」の戦いを見守る事になる。
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pixivでは
若林源三の師匠である以上に、
「若林源三親衛隊」のような、「若林源三応援隊」のような、もしくはそれ以上のような扱いをされている事が多い。