- 避難するための階段
- 日本のノイズバンド
- かつて存在したお笑いコンビ
- ウィリアム・アイリッシュの小説
階段
→避難階段
バンド
JOJO広重(イラストの人物)によって結成されたノイズバンド。
1979年にJOJO広重と頭士奈生樹によって京都で結成された。
2度のスタジオ録音、京都のロック喫茶どらっぐすとうあと同志社大学の学園祭でのライブを行った後、頭士奈生樹は脱退したが1980年、T.美川ほか多数のメンバーがバンドに参加し、活発にライブ活動を行うようになる。
その後もメンバーは入れ替わるがJOJO広重、T.美川の2人は不動である。
お笑いコンビ
かつて吉本興業に所属していたミヤコとシルク(イラストの人物)の女性漫才コンビで1985年1月に結成。
2人は小・中・高・大学、そして就職先と同窓だった(中学の時に親しくなった)。
当初はビートたけしに弟子入りしようとしたが女性の弟子は取らないため断念(2人とも『ビートたけしのオールナイトニッポン』のヘビーリスナーだった。)、松竹芸能のオーディションを受けたこともあったが相手にされなかった。
たまたま吉本の若手担当のマネージャーが学園祭で二人の漫才を見に来ていてここで誘われ、大阪本社でダウンタウンとの前でネタ見せをし認められ心斎橋筋2丁目劇場に上がる。その後オーディション番組の出演もするようになり、吉本興業入り。
芸名の由来は公称では「ビルの非常階段で漫才の練習をしていたことから」になっているが実は上記のバンド名が由来。
(名前は横山やすしからテレビ番組の中でこき下ろされた一方で、べた褒めしたのがハイヒールだった。)
共に大阪外国語大学(現在の大阪大学外国語学部)卒業で高学歴芸人のはしりだったが、1996年にミヤコが肺がんで早世したために同年にコンビ解散。現在はシルク1人で活動している。