騶虞
すうぐ
拼音では騶吾と書いて「ズーウー/ツォウウー(Zouwu)」や騶虞/ツォウユィ(Zouyu)や騶牙/ツォウヤー(Zouya)と読み、騶虞と同一視されている。
上古中国語ではスルグヮ(Srungwa, ʔsruŋʷa)、スルガー(Srunga, ʔsruŋaː)、スルンラー(Srungra, ʔsruŋraː)、広東語ではチャウユー(Zaujyu)、韓国語ではチュウ(Chuu)もしくはチュオ(Chuo)、ベトナム語ではソーグー(Sô Ngu)、北アジア辺りの言葉ではジュルガントゥ(Jurgantu)と呼ぶ。
性質は非常に穏健で、仁徳をもつ君主の治世に現われ、霊獣酋耳と同じく、自然死した動物の肉のみを食するといわれる。
また草木を踏みつけずに駆ける事を好む麒麟のような性質を持つ。
主に『山海経』の「海内北経」や『周礼』の「春官」などに記述されている。
『山海経』の「海内北経」には、五彩の色の虎ほどの大きさの獣で、尾が身体より長いとされる。騶吾と表記されている。
『周礼』の「春官」に記述されたものが、最も古い記述であるとされる。
『詩経』の一遍にもこの名が登場するが、ここでいう騶虞は狩猟を司る役人の意味であると、漢の時代の魯詩学派は解釈している。
『説文解字』によると尾が非常に長く、白虎に似るが斑模様の瑞獣であるとされる。
『三才図会』では周の文王の治世に現われ、明の永楽帝のもとには開封で捕らえられたものが贈られたとされる。また山東で目撃された際には黄河の水が澄み、さらに鄭和が麒麟を連れてきたことで瑞兆であるとされたという。
19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したオランダの中国学者ヤン・ユリウス・ローデウェイク・ドイフェンダックは、永楽帝に贈られたという騶虞はジャイアントパンダであったのではないかという説を唱えており、欧米では同意する学者も多いが尾の長さなどは伝承とは異なる。