事故概要
発生日時 | 1991年2月6日 |
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発生場所 | サウジアラビア・ジッダ上空 |
機種 | ボーイングKC-135E |
乗員 | 4 |
犠牲者 | 0名(全員生存) |
危険な空中給油任務
1990年、フセイン政権下のイラクがクウェートに侵攻して勃発した湾岸戦争。年が明けた1991年、アメリカを中心とする多国籍軍は、クウェート解放に向けての反攻作戦を開始した。その初期段階にあたる「砂漠の嵐作戦」は、航空優勢の確保と防空網制圧が主な任務であり、作戦に当たって多くの航空機が投入された。
サウジアラビア・ジッダのキング・アブドゥルアズィーズ国際空港に拠点を置く、アメリカ空軍の第434空中給油航空団に所属するボーイングKC-135Eもその一機である。2月6日、この日のKC-135Eには「Whale05」のコールサインが与えられ、カンザス空軍州兵第190空中給油航空団から派遣された搭乗員4人(機長、副操縦士、ナビゲーター、ブームオペレーター)によって運用されていた。任務は、砂漠の嵐作戦に参加する航空機を管制する空中早期警戒管制機への空中給油で、「タンカー回廊」と呼ばれるジッダから北に向かうルートで実施される予定だった。このタンカー回廊はクウェート国境付近に位置し、主戦場からわずか300km程度しか離れていないという空域であり、被撃墜率は15%と言われた。
異常発生
Whale05は現地時間17時24分にジッダを離陸し、25000フィート(7600 m)まで上昇して空中給油を行う予定だった。また同様の任務を帯びたKC-135、「Whale20」がWhale05よりも先に先行して飛行しており、両者の距離は約1海里ほど離れていた。
離陸から45分後、Whale05は後方乱気流に遭遇したが、その直後いきなり機体が90度左に勢いよく傾き、さらに今度は右に勢いよく90度傾いた。機長はスピードブレーキを展開することでなんとか機体を水平に戻すことができたが、直後に左主翼側のエンジン2基の火災警報が作動した。機長はブームオペレーターにエンジンの様子を見てくるよう指示したが、そこでブームオペレーターが見たのは火災ではなく二基のエンジンが脱落して損傷した主翼だった。エンジンの脱落によって機体の油圧、燃料ポンプ、着陸装置などが損傷を受け、左主翼の燃料は全て流出した。つまりこの時の状況は、油圧系統の損傷と燃料流出による重量バランスの偏りによって飛行困難な状況に陥っていた。
満身創痍の帰還
離陸からあまり時間が経過していなかったため、機体の燃料はほぼ満載の状態だった。機長は高度と速度を維持するために燃料投棄を行い、メーデーを宣言、ジッダに引き返すことにした。水平飛行に戻った時点でWhale05の高度は16000フィート(4900 m)にまで低下していた。
クルー達は機体の動作チェックを行い、1時間15分かけてキング・アブドゥルアズィーズ国際空港に戻った。油圧系統が損傷していた為、降着装置はブームオペレーターの手によってジャッキを用いて手動で降ろされ、最も長い滑走路34Lへの着陸侵入を開始した。油圧系統の損傷により機体の反応は鈍く、エンジン制御のみで着陸侵入速度と高度を調整、この状態でやり直しは効かず、文字通りチャンスは一度切りだった。
なんとか機体が滑走路に接地し、パイロットは右両エンジンの逆噴射装置を展開したが、それによってエンジンを失った機体左側が浮き上がってしまい、方向制御が困難となったためすぐに使用を中断、着陸時の衝撃と制動時の摩擦によって複数のタイヤが破損するも機体は滑走路内で停止。満身創痍ながらもかろうじて帰還に成功したのであった。
攻撃か事故か
アメリカ空軍はこの一件の原因を早急に究明する必要に迫られた。なぜなら空中給油機は砂漠の嵐作戦を遂行する軍用機の生命線であり、空中給油ができなければ作戦そのものに大きな支障をきたしてしまうからだ。もしこれが構造的欠陥に起因する事故であるなら他のKC-135にも同じことが起こりうるし、攻撃であればタンカー回廊は使えなくなる。どちらにしても原因を究明しなければ作戦の成否に関わることは明らかだった。
調査チームはまず傾いた衝撃で分離した左側二基のエンジンを回収した。主翼下にエンジンを懸架している輸送機の場合、エンジンと主翼を繋ぎ止めるパイロンにヒューズピンと呼ばれる部品が取り付けられている。このヒューズピンは万が一設計の想定を遥かに超える負荷がかかっても主翼の損傷を防ぐために一定の過負荷を超えると破断し、エンジンをそのまま落下させるようなフィルセイフが盛り込まれている。検証の結果、このフィルセイフは問題なく機能していることが分かった。
調査チームは前方を飛んでいたWhale20の後方乱気流に注目した。クルーの証言と破損した主翼の調査から機体の位置関係を割り出した結果、Whale05はWhale20の右主翼で発生した後方乱気流の丁度渦のド真ん中に位置しており、これが機体を大きく揺さぶった原因だった。さらに機体を調査すると生き残っていた左側エンジンも一部のヒューズピンが破断しており、あと少し負荷がかかった場合左側のエンジンも失い、巨大なグライダーと化してた可能性まであった。
事故後
エンジン2基を失ったKC-135を着陸させたパイロットはそれまでおらず、この功績を称えられて4人のクルーは全員殊勲飛行十字章(アメリカの飛行活動において最も功績を上げた者に授与される勲章)を授与された。
事故後、乗員達はシミュレーターで飛行を再現しようとしたが、いずれも成功しなかったという。
なお事故機はその後修復されて軍務に復帰し、現在はモスボール保管されている。
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1989年アメリカ海洋大気庁P-3エンジン喪失事故…原因こそ異なるにせよ本事故もエンジンが破損し、困難を乗り越えた事例で、死傷者が出なかった事も共通している。最も向こうは向こうで比べ物にならないほどイカれてるが。
リーブ・アリューシャン航空8便緊急着陸事故…エンジンが破損したこと、クルーが筋肉式操縦で空港に死者なく降ろした点が共通している。