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CF-105

しーえふひとまるご

カナダの独自開発機で、高い出力と火器管制能力を併せ持った迎撃戦闘機。北極を経由して北米に至るソビエト爆撃機への対策として開発が始まったが、開発が長期化して費用も高騰し、1959年に計画中止される。試作機は即解体され、現在は一部のみが残されている。公式愛称は「アロー」。
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「アロー」の登場、そして挫折編集

ソビエト⇒カナダ⇒アメリカ編集

ソビエトからアメリカへ至るにはどうしたらいいだろうか。

即思い浮かぶのは、アリューシャンのベーリング海峡を飛び越え、アラスカからアメリカへ至るルートだろう。しかし、正解は『北極海を抜け、一直線にカナダを通り越し、アメリカへ至る』というものである。だって地球は丸いのだから。


というわけで、第二次世界大戦が終結し、ソビエトが核兵器を保有するようになると、第一に警戒されたのはそうしたアメリカ本土一直線狙いである。一見何事も無かったかのようなカナダだが、実は対ソビエト防空の最前線だったのである。しかし広大なカナダ国土は、冬季にはほとんどが凍てつく凍土へと変わり、防空基地を設置しようにもそう自由には出来ない。


長時間滞空し続け、レーダーでもって監視し、長射程のミサイルでもって爆撃機を迎撃する戦闘機の開発は急務であった。


「カナック」(カナダ人)編集

そこで、カナダで開発されたのが「空飛ぶミサイル基地」ことCF-100である。

実際に防空ミサイル基地と併用され、その間隙を埋めるようにパトロールに就いていた。


カナダアブロ社はイギリスのアブロが子会社として設立したものだからか、それとも既存の技術で無難にまとめる事を優先したのか、機体はどことなくE.E.キャンベラのような、恰好が爆撃機のような戦闘機となった。実際に、空虚重量ではやや重く(全備重量ではCF-100の方が5tほど軽いが、恐らく装備違いによるもの)、エンジン出力もほぼトントンで、出力対重量比は0.44となり、戦闘機というより爆撃機に近い性能である。


しかしCF-100には当時のありふれた戦闘機にはない、2基のエンジンからくる余剰出力がある。

これをもって当時の戦闘機では搭載できなかった強力なレーダーを使い、また選任のレーダー手も同乗させることで「空飛ぶミサイル基地」として有能に働き続けるのであった。


スーパーソニック・インターセプター編集

だがいくら有能とはいえ、超音速戦闘機が次々と登場し始めた1950年代にあっては、CF-100は低性能だった。なにせ最大速度では900km/hも出ないのである。

そこでカナダアブロ社では超音速に関する空力研究を進め、CF-100のエンジンをパワーアップし、後退翼も取り入れて超音速飛行を可能にしたCF-103を提案したが「付け焼刃に過ぎない」として不採用にされてしまった。


それならばと、アブロカナダでは当時MiG-21F-102ミラージュ3などで流行していたデルタ翼を取り入れ、新エンジンも開発して超音速を重視した開発計画:C104をまとめた。この計画には単発機案:C104/4と双発機案:C104/2があり、1952年6月には空軍に提出された。こうして両案は揃って審議され、航続距離や行動半径、高高度での超音速性能、帰投から再出撃までの時間、乗組員の作業量等から導き出した結果、「2人乗りの双発機が適当である」との結論に達した。


その後はこのC104/2案を基に2人乗りとし、機内に兵装庫を設置し、構造の簡素化を狙って肩翼配置としたC105を開発。エンジンはロールスロイスRB.106エンジンを主に想定し、それに次ぐ控えとしてブリストル「オリンパス」OL.4やこれをカーチスライトでライセンス生産したJ67も考えられた。


兵装はすべて機内に収容される。

有力だったのはヒューズAIM-4「ファルコン」ミサイルだったが、その後AIM-7「スパロー」に変更(後述)された。また、この兵器槽は1000lb爆弾を4発搭載すれば対地攻撃も可能となっている。


矢が折れるまでに編集

1953年、開発にゴーサインが出され、本格的な開発が始まった。交付された型番はCF-105であった。1954年には最初の計画書が出来上がって、カナダとアメリカで風洞実験室とコンピュータシミュレーションとを組み合わせた検証が始まった。これによって設計には若干の修正が加わり、機体のエンジン周りにはチタンも取り入れられた。


しかし同年、待望だったRB.106計画は中止され、ブリストルOL.4も計画倒れで実際には制作されなかった。そこで、試作機に関しては(用意できる範囲では)最も強力だったJ75で代用することにし、オレンダにはRB.106に替わるPS13「イロコイ」開発に取り掛かってもらうことにした。


1955年、ソ連は初の水爆実験に成功し、この危機感から開発計画にはスピードアップが図られた。開発予算も試作機5機のため2億6000万カナダドルが計上され、この5機が実験データを収集する間に並行し、独自開発のエンジン・火器管制装置を実装したアローMk.2も開発されることになった。


1956年、カナダ軍部は検証用模型・実物大模型を評価し、完成の遅れているMX1179(機載コンピュータシステム)とAIM-4とに替わって、より有力なRCAビクター製「アストラ」火器管制システムとAAM-N-2(のちのAIM-7A「スパローⅠ」)の組み合わせに変更するよう申し入れた。


1958年にはエンジンを仮にJ75としたアローMk.1初飛行を遂げている。

これにより飛行試験と開発が並行し、実用化に一層の弾みがつくハズであったが・・・


矢面に立たず!編集

1959年、カナダはCF-105「アロー」の開発放棄を発表。主な原因は価格の高騰であった。

開発費用は天井知らずに高騰を続け、結局は費用が1機当たり34億円(現在の価値にして170億円ほど)に達した辺りで開発を中止することになった。当時のカナダ政府はもちろん、現在の日本でさえ躊躇うような金額になっていたのだった。


1960年にはU-2撃墜事件が起こり、「対空砲火を避けるために高高度を飛ぶ」という考えは役に立たないという事が分かってしまった。撃墜されたアメリカには当然だったが、撃墜したソビエトにしても次なる対策が求められた。ミサイルが届くのでは、高高度侵入など危険すぎて使えなくなってしまったのである。


想定していた『ソ連爆撃機の猛空襲』などは、今後起こり得ないことになってしまった。まあ本当に起こらないかといえばそうとも言い切れないので、防空戦闘機の導入そのものは行われることになった。独自開発は一切放棄して、だったが。


代わって導入されたのはCF-101で、これはCF-105と比較してすべての性能で劣っており、国内の一部では『わざわざ性能に劣る戦闘機を、しかも高いカネを出して買うのか!』と不満が出た。しかし、開発が長期化して難航し、費用も更新しつづけて、しかも実用化も遠いとなれば、他に選択肢はなかった。


カナダはCF-105の開発を中止し、予算を他に振り向けてようやく国を守ることができたのである。


製作から完成、挫折まで編集

完成とテスト編集

生産許可は1955年に出され、1957年にはアローMk.1初号機(RL-201)が完成した。この時点では完成度が低く、エンジン(PS13)はアメリカ製のJ75で代用して、火器管制装置も未実装であった。またJ75エンジンはPS-13よりも少し重いため、その分機首に錘を足してバランスをとっている。


初飛行は1958年3月25日に行われ、開発チーフにしてテストパイロットであるヤヌス・ズラコウスキによって行われた。続く18か月の間に(同じく)J75エンジンを搭載したアローMk.1が4機完成し、これもテスト飛行に加わっている。テストでは重大な設計上の欠陥はみられず、デルタ翼のおかげで良好な操縦性を発揮している。ただデルタ翼に帰する安定性の問題は指摘され、増強が求められた。


第3回目と7回目の飛行で超音速を記録し、特に第7回目では高度15000mへの上昇中に1600km/hを記録している。記録上の最高速度はマッハ1.98であるが、これでも性能上で余力は残っていたという。ただマッハ2以上に適したエアインテイクを備えておらず、最大速度はここで頭打ちとなった。


挫折 ~いつだって最大の敵は身内~編集

ここまでにかなりの予算がアロー開発計画に投じられた訳だが、ここにきて意外な、というか当然の妨害が姿を現した。海軍のヤキモチである。1953年以来、陸軍と海軍の幹部同士はアロー開発計画について全く対照的な態度をとり続けていた。アローが貴重な予算を喰い続ける事に、海軍は我慢ならなかったのである。


こうして海軍に足を引っ張られるまま1957年になると、カナダ政府はアメリカとの防衛協定を結び、こうしてカナダも併せてNORADの範囲に収まる事になった。すると今度は対爆撃機迎撃用にCIM-10「ボマーク」核防空ミサイルが配備されることになり、CF-105の必要性は薄くなってしまった。また、直後に時代はICBMとなり、こうして膨大な予算をつぎ込み続けた防空戦闘機は、1959年に開発中止が言い渡される事になったのである。


この頃オレンダでは続くアローMk.2用にPS13「イロコイ」エンジンの開発が進んでいたが、搭載する機の開発が中止になったことで、これも開発が中止された。

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