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ブルーピーター

ぶるーぴーたー

イギリス生産・調教の競走馬・種牡馬。第二次世界大戦の勃発により三冠馬になり損ねた。
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概要編集

イギリス生産・調教の競走馬種牡馬

1939年のイギリス三冠は確実と思われたが、第二次世界大戦の勃発によりセントレジャーステークスが中止となり果たせなかった。

種牡馬として直仔の成績はそれなりだったが、母父としては非常に好成績を収めた。

馬名の"Blue Peter"は国際信号旗出港旗P旗)から。


プロフィール編集


略歴編集

1936年

4月30日、スコットランド貴族のローズベリー伯爵(アルバート・エドワード・ハリー・メイヤー・アーチボルド・プリムローズ)が所有するメントモア&クラフトン牧場バッキンガムシャー州)で誕生。

父のフェアウェイはファロスの全弟だが、種牡馬としては兄より成功していた。

母のファンシーフリーは他にもフルセイルネプチューンなどの活躍馬を産んだ。

母父のステファンザグレートは快速馬ザテトラークの仔である。

父に似た逞しい前躯と胴長の馬体を持ち、活躍が期待された。

離乳後はローズベリー伯爵の専属調教師だったジョン・レイトン・ジャーヴィスに預けられた。


1938年

ジャーヴィス師は最初から三冠を念頭にブルーピーターを育成し、2歳時には無理をさせなかった。

9月、インペリアルプロデュースステークスに出走して5着、ミドルパークステークスに出走して2着となった。


1939年

4月、ブルーリバンドトライアルステークスに出走し1着。初勝利を挙げた。

5月、2000ギニーステークスに出走し1着。

5月24日、ダービーステークスに出走し1着。

8月、エクリプスステークスに出走し、古馬を圧倒して1着。

8月31日、ドイツポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発。翌日、イギリスはドイツに宣戦布告し、9月に行われる予定のセントレジャーステークスは中止となった。ローズベリー伯爵はブルーピーターを引退させ、メントモア&クラフトン牧場で種牡馬として繋養する。


1943年

産駒のブルージェムプリンスリーギフトの母)が誕生。


1944年

初年度産駒のオーシャンスウェルがダービーステークスに勝利。


1953年

産駒のボッティチェッリイタリアクラシック三冠馬となる。


1953年

英愛首位ブルードメアサイアーとなる。


1957年

死亡(21歳)。


関連タグ編集

1939世代 競走馬 種牡馬 二冠馬

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