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概要編集

1973年(昭和48年)3月13日国鉄(現JR東日本)の高崎線上尾駅で発生した暴動。

当時の国鉄は順法闘争が繰り返されており、事件当日にも順法闘争を行ったという。これが原因の1つにもなった。


事件概要編集

上尾駅に832M普通列車上野行(169系12両・定員840人)が14分遅れて7時10分に1番線に入線した。

しかし、順法闘争の影響で直前の4本の列車が運休・遅延してしまい、832Mは約1時間前に出発した822Mの次の列車となっていた。その間の上尾駅ホームには電車は来ていないため、大勢の乗客が待っており、改札制限を行っていた。

832Mは、すでに3000人以上が乗車しており、ホーム上に待機していた5000人ほどの乗客は大半が乗車できず、乗ろうとする乗客とそれを止める職員との間で小競り合いが発生していた。

そうこうしているうちに830M普通列車上野行(165系12両・定員944人)(本来は832Mの先行列車だが、順法闘争の影響で遅延し後発になっていた)が上尾駅2番線に入線したが、この列車も4000人が乗車していた。


その後、構内放送で830M列車を先に出発させること、830M・832M列車を途中の大宮駅で運転を打ち切ることを放送した。

この放送によって乗客の怒りに火がつき、ついに暴動が起こる。

殺気立った乗客が832Mの運転室の窓ガラスを割り、身の危険を感じた運転士が上尾駅の駅長室に逃げ込んだが、その後を追いかけた乗客が駅長室に流れ込み、鉄道電話の破壊・係員への暴力を行った。さらに、830Mの乗務員も逃げ出したため、乗客の怒りが爆発した。

乗客は線路に飛び降りて信号機や分岐器などの運転設備を破壊し、さらにホームに止まっていた2列車に投石をした。さらに、駅構内に入線出来ずにいたとき2号にも投石され、運転席の窓ガラスが割られヘッドマークも壊された。

その後、東北本線等の他路線でも投石されたり、駅長が拉致される等、騒ぎは拡大していき、最終的に乗客は3万人まで膨れ上がった。出動した機動隊は700人にも上る。


原因編集

  • 当時の高崎線沿線は東京のベッドタウンとなって居住人口が増加し、通勤・通学客が年々増大していた。そのため早々に輸送力不足に陥ったが、当時は新幹線もなければ並行する他社線もないため、沿線民は高崎線に乗らざるを得なかった。

  • 国鉄は慢性的な赤字体質のため普通列車用の車両の増備ができず、車両不足を補うために急行形電車(片側2扉でオールクロスシート車両)をラッシュ時に運行していた。また、今回の事件の該当列車である832M列車は急行「妙高2号」の間合い運用であったためグリーン車2両と食堂車が連結されていた。普通運用ではこれらが締め切り扱いとなるため、その分定員が減っていた。

  • 上越線信越本線からの特急列車も運行していたが、この2路線から来る特急は豪雪による遅れが常態化しており、高崎線普通列車のダイヤをよく乱していた。

対策編集

事件後、国鉄は115系を増備して急行形電車の普通運用をなくしたり、上越新幹線開業に伴う特急列車の削減によって高崎線の混雑問題には対応していった。

しかし、労組の問題はまったく解決されず、翌月に首都圏国電暴動が発生することになる。


関連タグ編集

暴動

国鉄 日本国有鉄道 高崎線

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