意味
口ばかりが達者(=おしゃべり)でその話題の内容はおろか本人自体も中身が空虚な人物に向けた蔑称。
関連タグ
元ネタ
2007年8月23日放送の『アメトーーク』内において、漫才コンビ『猿岩石』解散後に仕事を失っていた有吉弘行が品川庄司の品川祐に言い放ったアダ名が元ネタ。
その秀逸さ…というかアダ名を付した芸人の本質(?)を的確に突いた身も蓋もなさすぎる毒が大ウケになり爆発的に拡散。「一発屋にならないための方法を教える役」という微妙な立場で番組に呼ばれていた有吉は、これを契機に再び芸能界に返り咲くことになる。ちなみにこの「おしゃべりクソ野郎」と言い放った後、有吉は芸人やテレビ関係者から「よくぞ言ってくれた!」と握手の嵐に見舞われたという。
逆に「おしゃべり‐」と言われてしまった品川はこれ以降から過去の素行が次々と暴露されるようになり、有吉と入れ替わりに仕事が激減してしまった。
伊集院光によると、当時の品川は韓国ドラマにはまっていたのだが、ある時に自身へ熱心にその魅力を語り布教をしてきたのを自身は興味がないためあしらったが、その後もしつこく粘着してきて迷惑であったと語っている。
これだけならまだ「好きなものを熱心に布教しようとした」という、ありがちな迷惑行為の一つではあるのだが、それ以外にも後輩へのパワハラなど素行には問題しかなかった。
当時から売れっ子であった南海キャンディーズの山里亮太は品川から「すごいっすね。ぽっと出の人って、先輩のああいうパスも、ああやって面白くなくするの、OKなんですね。尊敬してます」等と繰り返し嫌味を言われていたという。後年、そのことをラジオ放送中にボロリと話してこれをイジメと表現。これを聞いた品川本人が怒鳴り込んできたために号泣しながら土下座する羽目になった逸話を持つ。(なお、この一件が明るみに出たことで品川は当時のTwitterアカウントを閉鎖する羽目になっている。)
この他、TVスタッフやマネージャーらに横暴な態度をとるなど、色々な意味でギラついているというのが周囲の品川への評価であった。
この『おしゃクソ事変』から10年以上が経過した現在、品川は当時を振り返りって「あの時はショックとプライドが邪魔して上手くプラスに転換できなかった。」(大意)と述べている。
一方で有吉はその後も幾多の有名人にアダ名を付けていったが、法則として彼が「クソ」をつける人物は彼が本気で嫌っているというのが定説である。(実際には「クソ煮込みうどん」と名付けられた狩野英孝とは仲が良いのであくまで定説でしかない)。
本人の弁によると、「悪口ではなく、世間の抱いている品川のイメージを伝えただけ」
後日談
なお、同じ番組の2012年9月13日放送回にて「どうした!?品川」と評して以前のようなギラギラした芸人に戻ってほしいという趣旨の、そして実際は調子に乗っていた頃の過去の品川の問題行動を検証するという死体蹴りにも等しい企画が行われている。
内容はデビューから現在(放送当時)までを「ギラギラ期」「調子ノリ期」「どうした期」に分割・検証され、企画を立ち上げた東野幸治からは「髪を伸ばし、韓流スターを真似たような格好しやがって。そんなおとなしいキャラはお前じゃない! 髭とか伸ばす意味がわからん。」や「某ネット掲示板で死ねとか、有吉におしゃべりクソ野郎とか言われてた品川に戻ってほしい。」等と辛辣な激励を受けてしまう。
これに対して品川は「いやだって、『あの頃の品川が好き』だって俯瞰で見てたら3種類の嫌な奴なんだもん。…いい期がない!いい期がないよ!」と涙目になってしまい、同じくゲストで呼ばれていた有吉はこれを見て「腰ヌケ隠居野郎」と言い放つ。
結局、最後は品川の相棒である庄司智春が乱入し、なぜか2人で丸坊主になることで番組は終了した。
もっとも、このような周囲の厚意による暖かな禊ぎ(?)を経たにもかかわらず、品川の仕事量は以前のようには戻らなかったという…。
原因はメディア出演激減の期間があまりに長すぎて現在の視聴者は芸人としての品川を知らない層に移ってしまっており、嫌う嫌われない以前に存在そのものを認知されていなかった(後年、出川哲朗が街頭インタビューで品川の印象を若者に聞いて歩いた際も、殆どの人が品川を知らなかったためまともな感想すら得られなかった)のである。ある意味では世間から嫌われていた時期よりもやるせない状況である…。
先述の山里とは現在も共演NG状態が続いており、企画で何度か謝罪を試みたが全て没交渉となっている。山里いわく、「お坊さんに『もう許してやれよ』って諭されたこともあるけど、絶対に無理です(要約)」
他にも、ギラギラしていた時期の人間関係の不和は現在でも解消には至っていないのが実情といえる。
本人は当時の自分の行いについては反省するコメントを出していて、「有吉に罵倒されなかったら、今頃は完全に消えていた」ともはなしている。
平成が終わり令和に入ると、少しずつ映画監督などのクリエイター業の仕事も舞い込みだしているご様子。 ガンバレ品川。