人物
1949年7月6日、長野県北佐久郡軽井沢町で生まれ、3歳頃東京都へ引っ越し、足立区千住で千住火力発電所のお化け煙突を見て育った。
都立江北高校卒業後、東京都の電気研究所に就職。
1970年5月、漫画雑誌『COM』の新人漫画家発掘コンテストへの投稿作「硬貨を入れてからボタンを押して下さい」が佳作第5席入賞し『COM』5・6月合併号に掲載される。
同年12月、入選作「ジュン子・恐喝」が『COM』12月号に掲載され正式デビュー。その後、『漫画アクション』、『パピヨン』などで作品を発表する。
1974年、第7回手塚賞(集英社主催)に応募した「生物都市」が入選。新人らしからぬ完成度に、選考委員の元には「未訳のSFを下敷きにしたのではないか」等の苦情が殺到した。
長男・諸星鵬によると「とても温厚で 時にひょうきんな面もある ごく普通の父親」ということ。
影響
宮崎駿や細野晴臣など様々なクリエイターにも影響・刺激を与えている。
宮崎駿は特に1980年代に諸星への言及が多く、「(漫画は自分で描くより自分が見たいものを誰かに描いてほしいと思う)諸星大二郎なんかが描いてくれればいいのに、とかね」、「ぼくの好きな漫画家は諸星大二郎なんです。大友克洋も半分ぐらい好きです。なぜ好きかといえば、通俗文化――といって悪い意味で使っているわけじゃありません――の中で、それから逃れられない人たちが大勢いる中で、諸星大二郎・大友克洋の絵を見たとき、非常に清々した気分になる」、「僕は諸星大二郎という人が大好きなもので、あの人の漫画を読むと描きたくなるんですね。非常に運命と意志との葛藤の中で生きてる主人公ばかりで、自分のルーツを辿っていこうという、ああいう漫画は今なくなったでしょう」、「諸星大二郎さんは「失楽園」のラストを見ると、風景と人間のかかわりあいが、よくわかってる人だと思います」など、高く評価した発言が見られる。また、『魔女の宅急便』のコンテにはウルスラの絵について「諸星大二郎風」と書かれていたりする。
庵野秀明は短編「影の街」のアニメ化を切望し、また、雑誌で諸星と対談した際には自作『新世紀エヴァンゲリオン』の旧劇場版において、「綾波の顔がギューと伸びる」のは『妖怪ハンター』のあんとく様が元ネタで、さらに映画のラストシーンのイメージは『暗黒神話』のラストの印象を引きずっていると語っている。
また、庵野が『風の谷のナウシカ』の制作に参加していた時、庵野の机の本棚に諸星作品の単行本があるのを見た宮崎駿は、「これ読んでるのか?」と反応し、「こことここが面白い!」などと説明し始めたという。
大槻ケンヂは短編「不安の立像」を歌にしようとし、星野之宣は作風を変え、高橋留美子は作品の主人公を「諸星あたる」にした。
高橋留美子展に展示されたイラスト・コメントによると、諸星大二郎がレンタルビデオ店に行った際「知らない人」から「よく来たな もろぼし」と言われてびっくりしたが、店で流していた「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」のビデオの面堂終太郎の台詞だった(「諸星大二郎」の正しい読み方は「もろほしだいじろう」)。
作風
独特の画風で、細い描線(ただし初期は筆も使っていた)を継ぎ足すように描かれ、諸星と対談した藤田和日郎は「あの線にじわっとした恐怖が宿る」と評している。
また、負けず嫌いな手塚治虫は「自分が真似できない絵柄はない」と常日頃から豪語していたが、「だが諸星の絵柄だけは真似できない」と例外扱いしている。
諸星自身は子供の頃に手塚の漫画を好んでいたが、自分の描く絵が手塚の絵に似てきてしまうので嫌になってやめ、社会人になってから再び描き始めたと中川いさみに語っている。→ 中川いさみのマンガ家再入門
「カオカオ様」「あんとく様」などキャラクターの造形も魅力である。
SF・ファンタジー・ホラーなど、漫画だからこそ表現できるジャンルの作品が多いが、活劇・ギャグなども手掛けている。初期には『むかし死んだ男』のような普通の人情話も描いていた。
古史古伝に題材をとり、異形の存在によって日常の価値観や世界観を転倒させる作品を多数発表している。民俗学や考古学、古事記からグリム童話にクトゥルフ神話にまで精通したその豊富な知識を漫画に盛り込んでおり、学識者からの評価も高い。
関連イラスト
SF
民俗学に取材
中国古典に取材
寓話
ギャグ作品
関連タグ
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