神道
しんとう
概要
※元々は名称が存在せず、仏教が伝来して以降、区別するために「神の道」などと呼ばれていた。古語では「かんながらのみち」。
神道と仏教を信仰している人を合計すると2億人に達すると言われる。本来、特定の教祖・教義を有さないが、神社神道から派生した教派神道には教義がある。古来からある民俗的宗教体系がベースとなっているが、平安時代以降の神道は陰陽道の要素を取り込んで成立したものである。さらに、中世の神仏習合、江戸時代の儒教の影響、明治時代の国家神道、戦後の神道指令などを経て何度か再編されており、古代の信仰と必ずしも同一ではない。
特徴
- 明文化された聖典がない
古事記や日本書紀は神道の経典ではないが、神典として尊重はされる。
- 信仰の対象が極めて多岐にわたる
世界的にもよく見られる太陽神や夜の神などに始まり、海、川、山、星などの自然神、その土地土着の土地神、祖先神、動物、樹木、巨石、道具などありとあらゆるものを信仰するといっても過言ではない。中国やインドなど外来の神も在来神と習合する形で取り入れられている。人物神に関しては、偉人や権力者だけでなく、罪人や反逆者をも神として祀る(人神信仰)のが特徴的である。(これは怨霊信仰にも関連するとされる)
- 神職は修行を必要としない
己を高めるための修行というものは存在しない。神職として奉職するには当然ながら祭祀の作法を学ぶ必要はあるが、修業とは性質が異なる。
国家神道と神社神道
明治維新に神道が大きな役割を果たしたこともあり、維新当時の明治政府では、当初神道を国教化しようとする動きも活発であった。だがまもなく、アニミズム的信仰である神道で近代国家を統合することの不可能性が認識されることになる。結局政府は、帝国憲法で信仰の自由を認め、「神道は宗教ではない」と位置づけ、神社を国家機関の末端として再編をはかった。これはのちに国家神道といわれるようになった。
だがこれは神道の信仰としての側面を抑圧し、国民を地域固有の祭祀の伝統から切り離すものだった。明治期に政府が神道を統制するために行われた神社合祀などの政策は、神道に取り返しの付かない傷跡を残した。
神社神道は、戦後の神道指令でようやく政府の統制から解放され、法律上は自由な活動ができるようになったが、旧神祗庁の関係者が中心となって全国の神社を統括する神社本庁が作られ、政府(文部科学省)との関係が強い宗教法人として全国の神社の多く(被包括神社)を統括している。
こうして国家神道の枠組みは形を変えて今なお継続している。伊勢神宮を本宗と仰ぐ神社本庁は中央集権の色合いが強く、各地域固有の伝統を軽視する国家神道的な神道観を持っている。被包括の神社に対し鎮守の森を伐採し売却することを迫ったり、宮司の人事に口を出すなどし、しばしば裁判沙汰にもなっている。