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田崎竜太の編集履歴2021/01/04 20:02:40 版
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編集内容:作風を追記

概要

田崎竜太とは日本の映画監督である。

プロフィール

性別男性
生年月日1964年4月19日
出身地東京都

来歴

早稲田大学第一文学部卒業。

1987年、早稲田大学の先輩である東映の髙寺成紀プロデューサーが上司である堀長文プロデューサーに「何の仕事でも良いので田﨑を使ってください」と直訴。その甲斐あって堀の意向で大学在籍中に『仮面ライダーBLACK』にてサード助監督として関わり、キャリアをスタート(なお、同番組参加前に『超人機メタルダー』に3日間勉強として現場に参加したのが正式なデビューである)。

その続編となる『仮面ライダーBLACKRX』ではセカンド助監督、同じく石ノ森章太郎原作の作品であるテレビドラマシリーズ『HOTEL』でも助監督を務める。それらの作品では松井昇がチーフの助監督を務めており、以降松井の下や東映特撮作品の現場で助監督として長く師事する。

1993年よりスーパー戦隊シリーズの『五星戦隊ダイレンジャー』の現場に参加し渡辺勝也、竹本昇と各話交代でチーフ助監督を担当。

その翌年の『忍者戦隊カクレンジャー』よりほぼ単独でチーフ助監督とキャリアを重ねていき、1995年、髙寺プロデューサーの推挙により『超力戦隊オーレンジャー』の第39話で本編の監督デビュー。

その翌年には髙寺がチーフプロデューサーを務める『激走戦隊カーレンジャー』で早くもローテーション監督に定着。続く『電磁戦隊メガレンジャー』でも重要回を数多く采配した後、1998年スタート『星獣戦隊ギンガマン』で初のメイン監督を務める。

その後、同シリーズの英語版ローカライズ作品であるパワーレンジャーシリーズの制作側が、東映に監督の貸し出しを要望していることを知り、参加を希望。同シリーズのプロデューサー、ジョナサン・ヅァクワーの招聘で、1999年1月に渡米。同シリーズに2年携わったあと2000年10月に帰国。

2001年、白倉伸一郎プロデューサーの招聘で『仮面ライダーアギト』より仮面ライダーシリーズに復帰しメイン監督を担当、『仮面ライダー555』まで3年連続でメイン監督としてシリーズに関わり劇場版の演出も手掛けた。

その後『実写版美少女戦士セーラームーン』を経て、子供向け特撮番組から離れ、オリジナルのSFドラマ『Sh15uya』を監督した。

2006年、『仮面ライダーカブト』でOP演出&サード監督として仮面ライダーシリーズに3年ぶりに復帰、『仮面ライダー電王』から2010年スタートの『仮面ライダーOOO』まで5作連続でパイロット演出を担当。

2012年には『非公認戦隊アキバレンジャー』のメイン監督を経て、スペシャルドラマ『特捜最前線×プレイガール 2012』シリーズの演出を一手に担当した。2013年は『非公認戦隊アキバレンジャーシーズン痛』『仮面ライダー鎧武』の2作品でパイロットを手掛ける傍ら、『科捜研の女』や舞台演出、映画を2本手掛けるなど精力的に活動している。

作風・スタンス

東映特撮では珍しく一貫したモチーフやメタファー的表現を用いる事が多く(『アギト』OPの水やイコン、『PROJECT G4』のゾートロープや『555』のモアレなど)、スタイリッシュな映像描写を得意とすることから、パイロット監督のみならずOP演出を担当する事も多い。

平成ライダーでは、劇場版やTVSPも含め井上敏樹と度々タッグを組んでいる。

井上と組んだ際は『PROJECT G4』以降、『555』の7・8話や『キバ』など音楽が重要な役割を果たすエピソードを演出する事が多い。

また『555』の最終回では田崎の要望で井上が特別に出演している。

平成仮面ライダーシリーズでは切断描写や流血描写が禁じられているが、『555』では灰、『電王』では砂、『OOO』ではメダル、『鎧武』では果汁など代替となるものが飛び散る描写を取り入れている。

また本人曰く、『PROJECT G4』冒頭のアントロードの大群の描写など、怪人による襲撃シーンではブラックユーモアを盛り込むのが好きとの事。

撮影プランの立て方は、事前にイメージを固めてもコンテの画に引っ張られてしまい、撮影の状況も日を追う毎に変わってくるため、なるべくギリギリに決めるという形を心掛けている。

主な監督作品

太字はパイロット監督を担当

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