概要
田崎竜太とは日本の映画監督である。
プロフィール
来歴
早稲田大学第一文学部卒業。
1987年、早稲田大学の先輩である東映の髙寺成紀プロデューサーが上司である堀長文プロデューサーに「何の仕事でも良いので田崎を使ってください」と直訴。その甲斐あって堀の意向で大学在籍中に『仮面ライダーBLACK』にてサード助監督として関わり、キャリアをスタート(なお、同番組参加前に『超人機メタルダー』に3日間勉強として現場に参加したのが正式なデビューである)。
その続編となる『仮面ライダーBLACKRX』ではセカンド助監督、同じく石ノ森章太郎原作の作品であるテレビドラマシリーズ『HOTEL』でも助監督を務める。それらの作品では松井昇がチーフの助監督を務めており、以降松井の下や東映特撮作品の現場で助監督として長く師事する。
1993年よりスーパー戦隊シリーズの『五星戦隊ダイレンジャー』の現場に参加し渡辺勝也、竹本昇と各話交代でチーフ助監督を担当。
その翌年の『忍者戦隊カクレンジャー』よりほぼ単独でチーフ助監督とキャリアを重ねていき、1995年、髙寺プロデューサーの推挙により『超力戦隊オーレンジャー』の第39話で本編の監督デビュー。
その翌年には髙寺がチーフプロデューサーを務める『激走戦隊カーレンジャー』で早くもローテーション監督に定着。続く『電磁戦隊メガレンジャー』でも重要回を数多く采配した後、1998年スタート『星獣戦隊ギンガマン』で初のメイン監督を務める。
その後、同シリーズの英語版ローカライズ作品であるパワーレンジャーシリーズの制作側が、東映に監督の貸し出しを要望していることを知り、参加を希望。同シリーズのプロデューサー、ジョナサン・ヅァクワーの招聘で、1999年)1月に渡米。同シリーズに2年携わったあと2000年10月に帰国。
2001年、白倉伸一郎プロデューサーの招聘で『仮面ライダーアギト』より仮面ライダーシリーズに復帰しメイン監督を担当、『仮面ライダー555』まで3年連続でメイン監督としてシリーズに関わり劇場版の演出も手掛けた。
その後『実写版美少女戦士セーラームーン』を経て、子供向け特撮番組から離れ、オリジナルのSFドラマ『Sh15uya』を監督した。
2006年、『仮面ライダーカブト』でOP演出&サード監督として仮面ライダーシリーズに3年ぶりに復帰、2007年スタートの『仮面ライダー電王』から2010年スタートの『仮面ライダーOOO』まで5作連続でパイロット演出を担当。
2012年には『非公認戦隊アキバレンジャー』のメイン監督を経て、スペシャルドラマ『特捜最前線×プレイガール 2012』シリーズの演出を一手に担当した。2013年は『非公認戦隊アキバレンジャーシーズン痛』『仮面ライダー鎧武』の2作品でパイロットを手掛ける傍ら、『科捜研の女』や舞台演出、映画を2本手掛けるなど精力的に活動している。
2018年には『仮面ライダージオウ』で久方ぶりにパイロット監督に就任。その後、令和ライダーや令和戦隊のサブ監督を務めた後、『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』のパイロット監督に就任。その後、『仮面ライダーガッチャード』で5年ぶりに仮面ライダーシリーズのパイロット監督に就任した。
作風・スタンス
東映特撮では珍しく一貫したモチーフやメタファー的表現(『アギト』OPの水やイコン、『PROJECT G4』のゾートロープや『555』のモアレなど)を多用し、スタイリッシュな映像描写を得意とすることから、パイロット監督のみならずOP演出を担当することも多い。
また、『555』最終回や『ガッチャード』1話では無茶苦茶な圧縮をやってのけたため、一部から時間を操る術を持っているのでは噂されている。
平成ライダーでは、劇場版やTVSPも含め井上敏樹と度々タッグを組んでいる。
井上と組んだ際は『PROJECT G4』以降、『555』の7・8話や『キバ』など音楽が重要な役割を果たすエピソードを演出した。また『555』の最終回では田崎の要望で井上が特別に出演している。
井上も田崎については信頼を寄せており、「頭が良く特殊な監督」「真の名監督は普通一つの技で勝負するが、引き出しが多くオシャレなのもダサいのも撮れる」と評している。
時折子供向けとは思えない残酷無慈悲な演出を行う事から「鬼の田崎」とスタッフやファンから呼ばれている。
『PROJECT G4』冒頭のアントロードの大群がエスカレーターに乗っているシーンのコメンタリーにて、怪人による襲撃シーンでブラックユーモアを盛り込むのが好きだと語っている。
また平成仮面ライダーシリーズでは切断描写や流血描写が禁じられているが、『555』では灰、『電王』では砂、『OOO』ではメダル、『鎧武』では果汁など代替となるものが飛び散る描写を取り入れている。
より良い作品を作るためにキャストに無茶を要求する場合もあり、浅倉威がパスタに入っていたムール貝を殻ごと噛み砕くシーンはあまりにも有名。結局、貝殻を事前に砕いた上でパスタを食べることになったが、それでも口の中が血だらけとなってしまい、萩野崇氏は20年以上経過した今でも「田崎監督のイジメ」と愚痴っていた。
『仮面ライダーギーツ』の31・32話におけるさいたまスーパーアリーナ屋上での撮影は、真冬なのもあって浮世英寿役の簡秀吉氏と吾妻道長役の杢代和人氏が俳優人生で1番過酷だったと愚痴っている。
撮影プランの立て方は、事前にイメージを固めてもコンテの画に引っ張られてしまい、撮影の状況も日を追う毎に変わってくるため、なるべくギリギリに決めるという形を心掛けている。
ただ、自身の「雨男」としての不運が原因で思い通りに撮影が進まなかったこともあったらしく、『星獣戦隊ギンガマン』にて撮影時に雪を降らせた逸話は現在もスタッフの間で語り草となっている。
某監督によるとパイロットの1話は規定の尺の倍以上を撮っているようである。
主な監督作品
太字はパイロット監督を担当