概要
広島県出身の映画・テレビドラマ作品の監督・演出家。1945年生まれ。
1960年代にテレビドラマの助監督を務めた後、1976年の『ザ・カゲスター』で、テレビドラマの監督デビューを果たしたのち、1985年の『電撃戦隊チェンジマン』以降、本格的に東映特撮作品の監督として活躍するようになった。
2013年、進行性核上性麻痺によって死去。
人物・エピソード
長年に渡って東映特撮に携わり続けてきた伝説的な監督であり、今なお長石を敬愛している関係者は多い。
独特な照明などに彩られた叙情的な画作りや、耽美的でセンチメンタルなムード感、顔の寄りの多用などキャラクター個人に深く入れ込んだカット割りが特徴。担当回では薄幸美人の犠牲率が高い。
長石と組む事の多かった井上敏樹はその作風について、「花とか少女とか、どちらかというとクサいものが好き」「ちょっとした詩情を盛り込む」「グイグイ情感を寄って撮る」と語っている。
(キャリア後半の作品でも『仮面ライダー剣』の最終回などでその個性が色濃く発揮されている)
『救急戦隊ゴーゴーファイブ』に出演した谷口賢志は「僕ら一人一人を愛してくれてるから(五人一遍に撮れば良いカットを一人一人写そうとする為)、撮る時間が長くなっちゃう」と語っており、粘った末に現場が押したり、尺が長くなり過ぎたりといった事も多かったという。
練馬区にある大泉JCT歩道階段や六本木トンネルを余りにもロケで多用するため、その場所はファンや関係者から前者は「長石階段」、後者は「長石トンネル」と呼ばれ親しまれている。
また、特撮の聖地として有名な岩船山を見付けてきたのは長石だという説もある。
助監督として師事していた諸田敏は長石を「天才肌」と評しており、長年組んでいたカメラマンのいのくままさおは「昔は長石の感覚的な指示が訳わからなくて、撮った画を見て納得していた」と語っている。
完全に頭の中で絵が出来上がっている為か、「スタート」と「カット」を言い間違える、カットを掛け忘れる、カメラの回っていないテストを本番と勘違いしてチェックしようとする、編集したら尺が足りないなど、お茶目エピソードには事欠かない。
『カブト』にて山本裕典の迫真の演技に、いのくまが長石に確認を求めた所「はっ、月を見てた!」と上の空だったという。
プロデューサーの宇都宮孝明は『仮面ライダー555』の公式HPで「世界で一番カワイイ生き物」とコメントしており、要潤や山崎潤ら『仮面ライダーアギト』の出演陣は「とてもチャーミングなおじいちゃん」「凄く飄々とした人。現場に遅刻してきたり(笑)」と回想している。
酒宴好きで知られるが、キャストやスタッフら関係者が長石と飲みに行った際の珍プレーを語る事も多い。
井上曰く長石とプロデューサーの白倉伸一郎が飲みの席でよく喧嘩していたらしいが、「多分大したことじゃない」「両方呂律が回ってないから何言ってるか分からなかった(笑)」と語っている。
中学時代にNHKのラジオドラマのシナリオコンクールに応募して佳作入選した経験があり、特撮作品では自ら脚本を手掛ける事もあった。
井上は「俺を一から教えてくれた人だ」と語っており、井上の戦隊デビュー作だった『超新星フラッシュマン』の初稿を容赦なくボツにされた際は相当悔しかったという。この件について、井上は「(初仕事のスタッフ、キャストには)初っ端ガツンとやりたがる(マウントを取りたがる)ところがあるんだ。昔気質の監督だからさ」と回想している。
『超光戦士シャンゼリオン』で共に仕事をしたプロデューサーの白倉を「十年に一度、出るか出ないかという天才」と高く評価しており、『仮面ライダークウガ』以降は主戦場を平成ライダーに移している。
主な監督作品
太字はパイロット監督
スーパー戦隊シリーズ
仮面ライダーシリーズ
その他
赤い秘密
※仮面ライダー、仮面ライダーV3、仮面ライダーアマゾンでは助監督の経験があった。また、初代ライダーで原作者の石ノ森章太郎が監督を務めた第84話では監督補を務めている。