経歴
1946年7月6日にコネチカット州ニューヘイブンに誕生する。奔放で問題を多々起こす若年期を過ごし、石油会社に務めた後は1994年にテキサス州知事に当選した。
2000年、アメリカ合衆国大統領選挙で民主党の大統領候補であったゴア副大統領を押さえて、大統領に就任したが、当選の鍵を握るフロリダ州の投票結果が僅差であったため、何度も投票用紙を数え直すこととなり、その度に結果が違うという後味の悪いものであった。
上記のようにひと悶着あったものの、2001年に第43代大統領に就任。親子で大統領経験者となるのは、第2代大統領ジョン・アダムズを父に持ち、第6代大統領となった息子のジョン・クインシー・アダムズ以来、米国史上2例目の出来事である。
新自由主義経済とグローバル資本主義を掲げて「小さな政府」を目指したが、地球温暖化対策については経済活動を妨げるとして京都議定書から離脱し、国内外に不安感を憶えさせた。
就任9ヵ月後にはウサマ・ビンラディンの率いるアルカイダによる9.11テロ事件が発生し、対テロ戦争としてアルカイダを支援するアフガニスタンのタリバン政権を攻撃するアフガン戦争を開始した。さらに、大量破壊兵器を隠し持っているという理由からサダム・フセイン大統領が治めるイラクと対立して、2003年にイラク戦争を開始した。ただ、イラク戦争に関しては証拠不十分を理由に国際連合安全保障理事会常任理事国の一部(フランス・中国・ロシア)・ドイツなどが反対表明をしていた。
戦争の結果、タリバン政権とフセイン政権の打倒に成功するも、本来の目的であるテロ組織を壊滅させるには至るどころか増大し、アフガニスタンでの戦いは政権が変わっても泥沼のまま推移、2021年に完全撤退するまで20年に渡り続くことになった。あると説明していたイラクの大量破壊兵器は見つからず、米軍のイラク派兵長期化と戦死者増大・アフガニスタンの治安悪化などで支持率は低迷していくことになった。
2004年の大統領選挙では、民主党の大統領候補ジョン・フォーブズ・ケリー上院議員を破って2期目の再選を果たすも2005年8月のハリケーン・カトリーナの対応の遅れや支援の格差に批判が相次ぎ、さらに支持率は悪化した。
9.11テロ事件の時は90パーセント近い過去最高級の支持率を持っていたにも関わらず、2008年に不支持率が76パーセントという歴代の大統領で最悪級の数値を出してしまった。その後支持率が回復することは無く、2009年に2期8年の任期満了で大統領を退任した。
退任後はテキサス州ダラスの自宅に移り住み、自身の大統領図書館やシンクタンクの活動に従事しているという。
余談
- 在任中は低い支持率であったが、退任後に行われた世論調査では教育や医療制度改革に関して見直されており、現在は高く評価されている。
- イギリスのブレア首相・日本の小泉純一郎首相・韓国の金大中大統領などとは連携を強化し、北朝鮮の金正日総書記・中国の胡錦濤国家主席・ロシアのプーチン大統領とは度々対立した。
- 2016年アメリカ合衆国大統領選挙において、弟でフロリダ州のジェブ・ブッシュ元州知事が共和党より出馬し、当初は共和党の本命候補と見られたが、支持率が伸びずに撤退した。3月24日に共和党保守強硬派のテッド・クルーズ氏を支持することを表明した。
- 1989年から1998年まで、MLBのテキサス・レンジャーズのオーナーの座にあった。彼がオーナーを務めていた1996年にチームは球団史上初めてとなる地区優勝を達成している。
- ハーバード大学とイェール大学院卒業というトップエリートにも関わらず、日本の中学生でもやらないような文法上の誤りを犯したり、意味の分からないトンチンカンな発言をすることが多かった。これらは「ブッシュイズム」と呼ばれ、しばしば槍玉にあげられたり、ジョークのネタにされたりした。
語録
- Is our children learning?
- Childrens do learn when standards are high.
- Our nation must come together to unite.(我々は団結するために団結しなければならない)