ワンアンドオンリー
わんあんどおんりー
プロフィール
生年月日 | 2011年2月23日 |
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英字表記 | One and Only |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
父 | ハーツクライ |
母 | ヴァーチュ |
母の父 | タイキシャトル |
生産 | ノースヒルズ(北海道新冠町) |
調教師 | 橋口弘次郎 → 橋口慎介(栗東) |
主戦騎手 | 横山典弘など |
戦績 | 33戦4勝(JRA31戦4勝 + 海外2戦0勝) |
獲得賞金 | 3億7268万円(JRA)+9344万円(海外) |
父ハーツクライにとって、ジャスタウェイ、ヌーヴォレコルトに続く3頭目のGⅠ産駒であり、父の届かなかった日本ダービー制覇を果たした。
母ヴァーチュは2002年生まれのタイキシャトル産駒で現役時は27戦3勝。3番仔であるワンアンドオンリーが最後の仔で、息子のダービー制覇より早く亡くなっている。
母系では、アメリカから繁殖牝馬として導入された曾祖母アンブロジンが、皐月賞馬ノーリーズンを産んでいる。
馬名は、「唯一無二」を英訳したもの。
経歴
2013年(2歳)
2013年8月、栗東・橋口弘次郎厩舎からデビュー。新馬戦(小倉・芝1800m)は10番人気、レースも中団進行から伸び脚もなく12着というみどころの薄い内容であった。タイムマシンがあったとして、「あの12着の馬がこの世代の日本ダービー馬ですよ」と伝えても、誰ひとり信じないであろう。
2戦目は2着と盛り返したが、この時は単勝260倍(複勝40.9倍)がついている。
3戦目の未勝利戦で勝ち上がりを決め、出世レースとして知られる2歳オープン・萩ステークス(勝ち馬からスズカマンボやフサイチリシャール、2・3着からもヴァーミリアンやエイシンフラッシュなどが出ていた。現在はリステッド競走)ではハナ差2着。
初重賞挑戦となった11月の東京スポーツ杯2歳ステークス(GⅢ)はイスラボニータの6着に敗れたが、クリストフ・ルメールの騎乗で臨んだ重賞2戦目のラジオNIKKEI杯2歳ステークス(GⅢ、現GⅠホープフルステークス)にて7番人気から重賞初制覇。
デビュー当初の凡走から一変、一躍クラシック三冠戦線の有力馬に名乗りを上げ、6戦2勝で2歳シーズンを終えた。
第81回日本ダービー
橋口弘次郎調教師にとって、ワンアンドオンリーは当時の最多挑戦回数である20頭目のダービー挑戦馬であり、そしてこれまで2着が4頭(1996年ダンスインザダーク、2004年ハーツクライ、2009年リーチザクラウン、2010年ローズキングダム)と、あと一歩ダービーの栄冠には届いていなかった。橋口は当時68歳、調教師の定年70歳は間近で残されたチャンスは少なかった。
また、ワンアンドオンリーの父ハーツクライも上述の通り橋口師の手掛けた馬である。2004年のダービーで最後方待機から猛然と追い込んだものの、キングカメハメハに届かず2着。その時の騎手は、ワンアンドオンリーのダービーと同じ横山典弘だった。
レースでは5番手付近で道中を進行し、最終直線ではイスラボニータとのマッチレースを展開。最後はイスラボニータを競り落とし、ダービー馬の栄冠に輝いた。
デビュー戦が2ケタ順位の馬が日本ダービーを制したのは史上初で、その後も現れていない。
橋口師は20頭目の挑戦で、ダービートレーナーの栄誉を手にした。
また、父ハーツクライの果たせなかったダービー制覇を達成。父が日本ダービーに出走して勝てず、子が雪辱を果たした事例は、父トウショウボーイ → 子ミスターシービーに続く4例目である。
加えて、馬や関係者の誕生日「2月23日」に関する大変まれな偶然の一致もあった(後述)。
「2月23日」
ワンアンドオンリーの誕生日は2月23日。そして馬主であるノースヒルズ代表・前田幸治氏の誕生日も2月23日。……このくらいなら、競走馬の誕生日は繁殖シーズンの2月~5月頃に集中するため、その頃が誕生日の人にとっては特に珍しくもない。
しかし、ワンアンドオンリーをダービー制覇に導いた横山典弘騎手の誕生日も2月23日。同じ誕生日の馬と騎手のコンビがJRAのGⅠを勝利した事例はこれが初である。
さらには、この第81回日本ダービーは皇太子徳仁親王御臨席の台覧競馬として開催されており、殿下(いずれも当時)の御誕生日も2月23日である。
いくらなんでもこれほどの一致は、今後まず起こりえないだろう。この偶然の一致はJRA関係者から殿下にも説明され「世の中にはそうしたことも起こるのですね」と驚かれていたという。