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ワンアンドオンリーの編集履歴

2022-02-15 22:48:03 バージョン

ワンアンドオンリー

わんあんどおんりー

2011年生まれの日本の競走馬。2014年の日本ダービー馬であり、デビュー戦12着という戦績からダービー馬にのし上がった。

プロフィール

生年月日2011年2月23日
英字表記One and Only
性別
毛色黒鹿毛
ハーツクライ
ヴァーチュ
母の父タイキシャトル
生産ノースヒルズ(北海道新冠町)
調教師橋口弘次郎 → 橋口慎介(栗東)
主戦騎手横山典弘など
戦績33戦4勝(JRA31戦4勝 + 海外2戦0勝
獲得賞金3億7268万円(JRA)+9344万円(海外)

ハーツクライにとって、ジャスタウェイヌーヴォレコルトに続く3頭目のGⅠ産駒であり、父の届かなかった日本ダービー制覇を果たした。


母ヴァーチュは2002年生まれのタイキシャトル産駒で現役時は27戦3勝。3番仔であるワンアンドオンリーが最後の仔で、息子のダービー制覇より早く亡くなっている。

母系では、アメリカから繁殖牝馬として導入された曾祖母アンブロジンが、皐月賞馬ノーリーズンを産んでいる。


馬名は、「唯一無二」を英訳したもの。

経歴

2013年(2歳)

2013年8月、栗東・橋口弘次郎厩舎からデビュー。新馬戦(小倉・芝1800m)は10番人気、レースも中団進行から伸び脚もなく12着というみどころの薄い内容であった。タイムマシンがあったとして、「あの12着の馬がこの世代の日本ダービー馬ですよ」と伝えても、誰ひとり信じないであろう。

2戦目は2着と盛り返したが、この時は単勝260倍(複勝40.9倍)がついている。


3戦目の未勝利戦で勝ち上がりを決め、出世レースとして知られる2歳オープン・萩ステークス(勝ち馬からスズカマンボフサイチリシャール、2・3着からもヴァーミリアンエイシンフラッシュなどが出ていた。現在はリステッド競走)ではハナ差2着。

初重賞挑戦となった11月の東京スポーツ杯2歳ステークス(GⅢ)はイスラボニータの6着に敗れたが、クリストフ・ルメールの騎乗で臨んだ重賞2戦目のラジオNIKKEI杯2歳ステークス(GⅢ、現GⅠホープフルステークス)にて7番人気から重賞初制覇。


デビュー当初の凡走から一変、一躍クラシック三冠戦線の有力馬に名乗りを上げ、6戦2勝で2歳シーズンを終えた。


2014年(3歳)春

2014年弥生賞から始動も、ハナ差でトゥザグローリーの全弟トゥザワールドに敗れ2着。

皐月賞ではイスラボニータの4着。


第81回日本ダービー

2014年6月1日、第81回東京優駿日本ダービー)。

橋口弘次郎調教師にとって、ワンアンドオンリーは当時の最多挑戦回数である20頭目のダービー挑戦馬であり、そしてこれまで2着が4頭(1996年ダンスインザダーク、2004年ハーツクライ、2009年リーチザクラウン、2010年ローズキングダム)と、あと一歩ダービーの栄冠には届いていなかった。橋口は当時68歳、調教師の定年70歳は間近で残されたチャンスは少なかった。


また、ワンアンドオンリーの父ハーツクライもまた、上述の通り2004年のダービーで最後方待機から猛然と追い込んだものの、キングカメハメハに届かず2着。その時の騎手は、ワンアンドオンリーのダービーと同じ横山典弘だった。


レースでは5番手付近で道中を進行。最終直線で、先に抜け出したイスラボニータを追って並びかけマッチレースを展開。最後はイスラボニータを競り落とし、ダービー馬の栄冠に輝いた。

デビュー戦が2ケタ順位の馬が日本ダービーを制したのは史上初で、その後も現れていない。


また、父ハーツクライの果たせなかったダービー制覇を達成。父が日本ダービーに出走して勝てず、子が雪辱を果たした事例は、父トウショウボーイ → 子ミスターシービーに続く4例目である。


加えて、馬や関係者の誕生日「2月23日」に関する大変まれな偶然の一致もあった(後述)。


2014年秋冬

秋の初戦は神戸新聞杯。単勝1.6倍の1番人気に推され、後方待機から最後は2着サウンズオブアース・3着トーホウジャッカルとのアタマ・アタマ差の接戦となったが、人気に応え重賞3勝目。

しかし、菊花賞ではトーホウジャッカルに雪辱を許し9着。ジャパンカップ7着、有馬記念13着と調子を落とし、ここで横山典弘も主戦交代となった。


2015~17年(4~6歳)

古馬となっての初戦は、父子2代制覇を狙いドバイシーマクラシックに遠征するも3着。

そして、なんとこの3着がワンアンドオンリーが馬券に絡んだ最後のレースとなった。


その後は6歳まで走り19戦0勝。勝ち負けを争うどころか5着の掲示板入りが2度あるのみと大敗が続いた。

陣営も6歳となった2017年には、中距離王道路線から阪神大賞典天皇賞(春)とステイヤー戦線に転向させたり、逆に中京記念毎日王冠と2歳以来となる2000m未満のレースに出したり、主戦に横山典弘を呼び戻したりと試行錯誤を続けたが、かつての脚は戻らず引退となった。


引退後は、アロースタッドで種牡馬となった。


「2月23日」

ワンアンドオンリーの誕生日2月23日。そして馬主であるノースヒルズ代表・前田幸治氏の誕生日も2月23日。……このくらいなら、競走馬の誕生日は繁殖シーズンの2月~5月頃に集中するため、その頃が誕生日の人にとっては特に珍しくもない。


しかし、ワンアンドオンリーをダービー制覇に導いた横山典弘騎手の誕生日も2月23日。同じ誕生日の馬と騎手のコンビがJRAGⅠを勝利した事例はこれが初である。


さらには、この第81回日本ダービーは皇太子徳仁親王御臨席の台覧競馬として開催されており、殿下(いずれも当時)の御誕生日も2月23日である

いくらなんでもこれほどの一致は、今後まず起こりえないだろう。この偶然の一致はJRA関係者から殿下にも説明され「世の中にはそうしたことも起こるのですね」と驚かれていたという。


関連項目

競馬 競走馬 14世代

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