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新庄剛志の編集履歴

2022-02-18 22:57:32 バージョン

新庄剛志

しんじょうつよし

元プロ野球選手。現北海道日本ハムファイターズのBIG BOSSこと監督。

1972年1月28日生まれ、福岡県出身の元プロ野球選手。


愛称は「宇宙人」

監督就任後は「ビッグボス」を自称し、かつてのミスターのように大手メディアでも「新庄ビッグボス」と表記される事がある。


概要

糸井に劣らずいい意味でアホな男として有名。

だが一見アホのように見えてサービス精神が旺盛で、計算してやってることが大半である。また同僚の話によると一見目立ちたがりのようで軽々しいが、気使い上手で他人を立てる性格でもある。

簡潔に言えば「人前ではド派手、素顔は緻密で繊細」というの人物である。

幼少期はサッカーが好きだったが、つまらなさを感じ、野球を始めたところはまってしまい、そのうちプロ野球選手になるまでにもなった。

引退後、トーク番組で堂々と「僕は本当はサッカー選手になりたかった」などというなど、やっぱりサッカーも好きだった様である。


選手としては俊足・強肩・一発長打を兼ね備えた好選手だったが、打率が平均して低かった。

だがパンチ力を兼ね備えており、また意外性のあるバッティングであった。

守備に関しては強肩で鉄壁でありゴールデングラブ賞を幾度も受賞している。

メジャーでもその守備力はかなりの高評価を得ていた。

センターを簡単そうにキャッチしている様にも見えるが、バッターが打った瞬間から吹いている風などを視野に入れ、予め球が落ちてくる場所を計算してその範疇内に立っている事が多いらしい。

これらより、一見すると天性の勘とセンスでプレーしていると思われがちであるが、その実非常に筋が通った理論に基づいていることが分かる。こうした理論は、守備に限らず走塁に関しても同様であり、監督就任前後の取材などでもしばしば語られている。


新庄は野球選手というよりタレントに近いスター性を持つ男であったと言われている。

メジャー帰りの新庄が北海道日本ハムファイターズへ入団し、派手なパフォーマンスを繰り広げたおかげで、パ・リーグも注目され話題になることが増えていった。

日本ハム加入後の輝かしい活躍から、北海道に野球が根付いたのは新庄さんのおかげ」「新庄なくして日本ハム移転の成功はなかった」と言われている。


2006年のシーズン開幕直後に突如引退を宣言。そして日本一になってユニホームを脱ぐという、まさに野球選手冥利に尽きる幕引きとなった。

そして日本一を達成したときには監督のトレイ・ヒルマンを差し置いて真っ先に胴上げされた。彼がファンはもちろん、何よりもチームメイトから如何に愛されていたのかが窺えるエピソードである。


エピソード

とにかく新庄という男は数多くのエピソードを残しており、いざ語ろうとしても語り尽くせないほどである。

あまりにも伝説が多いので詳細はエピソードをまとめた下記外部リンクの『新庄剛志伝説』を参照して欲しい。

ここでは代表的なものを取り上げる。


  • 阪神時代の1999年、読売ジャイアンツ槙原寛己が投じた敬遠球を打ってサヨナラヒットを達成した。
    • このサヨナラヒットを打つため、事前に敬遠の高くて遠い球を打つ練習を重ねていた上、コーチと監督にも予め了承を取った上でこの作戦を決行している。
  • 日本ハム時代の2004年、オールスターゲームにおいて予告MVPを宣言し、同ゲームにてホームスチールを決めて実現させた。
  • 日本ハムの人気獲得に向けた数々のパフォーマンスを実践し、「新庄劇場」と称された。
    • 被り物や度肝を抜く選手入場、ホームランに独自の打法を命名するなど、メディアの注目を一点に集めた。
      • 日本ハムは東京時代、雑誌の「好きな球団アンケート」で支持率0%に甘んじるなどあまりにも不人気だったが、北海道移転と共に加入した新庄のおかげで雰囲気は一変し、広報が「20年間努力したのに全くダメだった。それが一人の加入でこんなに盛り上がるとは」と洩らしたほど。
    • ちなみにこれらのパフォーマンスは一見すると好き放題やっているようだが、実際には周囲に予め了承を得た上で行っている。
  • MLBのサンフランシスコ・ジャイアンツ在籍時、チームメイトであったバリー・ボンズには「相棒」と呼ばれる程非常にかわいがられていた。方や一流のホームラン王、方や実力未知数の渡米選手でありながら、新庄は持ち前の明るさと物おじしない性格で良好な関係を気付き、新庄の監督就任時にもボンズ氏はエールを送っている。
  • 一度はホームランと認められたものの、取り消されてしまった例をNPBで3度も経験している(NBP最多)。
    • 中でも日本ハム時代の2004年9月20日に対ダイエー戦で記録したサヨナラ満塁ホームランのはずが走者追い越しによってシングルヒットになりサヨナラ勝ち」はその前後の展開も含めて伝説的な事件である。
  • 2006年、ヒーローインタビューで引退を宣言。その後の展開は上記の通り。
  • みのもんた司会のクイズ番組「ザ・ミリオネア」にて、鉛筆を転がして出た番号をそのまま回答するという無謀な手段を使用。何と全問正解し1000万円を獲得した。
    • 最初から回答を知っていたのでは?という声もあるが真偽の程は不明。なお、この時の賞金は全額日本ハム球団に寄付したそうである。

彼の野球史

1990年、阪神タイガース入団

当初の背番号は63だったが5に変更。

1992年、中村勝広監督に抜擢され中堅手のレギュラーをつかみ阪神時代唯一のAクラスを経験

1995年、藤田平監督との確執もあり一時は引退発言をする、後に撤回するも1996年~1998年まで不本意な成績が続く。

1999年、野村克也監督の指導の元で打棒が復活

2001年FAを行使してニューヨーク・メッツへ移籍

翌、2002年にはサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍

2003年には再びニューヨーク・メッツへ移籍

2004年より北海道日本ハムファイターズに移籍し、登録名は「SHINJO」、背番号は1となった。

2006年に現役引退。

以後はバラエティ番組にしばらくの間出演していたが、最近は出る機会が激減していた(過去にバラエティ番組に出演した際「お金があると出ないが、お金がなくなると出る」と発言している)。

また基本的にバリへ移住していることもあり、野球界とも距離を置いていた。

ところが、2019年11月に翌年のトライアウトを受験し、現役復帰を目標にトレーニングを始めることを自身のインスタグラムで発表。

日本ハム退団時は任意引退選手として公示されていたが、日本ハムはこの発表を受け、改めて自由契約選手として公示した。

2020年12月7日に開催されたトライアウトには現役引退時に所属していた日本ハムのユニフォームを着用して参加。4打数1安打1打点という結果を残したものの、新庄自身が決めた6日間の期限内にNPB球団からのオファーが来なかったため、現役復帰を断念した。

2021年10月29日、同年限りで退任した栗山英樹氏の後任で、翌シーズンから北海道日本ハムファイターズの監督に就任することが発表された。



監督就任

引退後トライアウトを受けるまで13年間野球から離れていた氏の監督就任に世間は驚かされたが、就任会見では赤いスーツに大きな襟を立てるという派手な衣装で登場しさらに国民の度肝を抜いた。

なお余談だが、最初に質問をしたミヤネ屋特派員岩本勉は、指名を受けた後に新庄を真似て襟を立ててから質問を始めた。

いきなり選手兼監督宣言…は冗談だが、就任の2年前には普通にプロ野球のトライアウトを受けており、あながち冗談にも聞こえない。しかも2021年のトライアウトも受けると宣言しており(代打や守備固めとして、自身が緊急出場するために)、型破りで破天荒な彼からすると、ジョークにも全く聞こえない(結局トライアウトは監督として選手たちを見守る側で参加となったものの、「全員欲しい」や「目に留まった選手がいる」など参加選手たちをしっかりと見届けた)。

優勝なんか、一切目指しません」と、新庄でもなければファンから総叩きや大炎上に遭いそうな目標を堂々と言い切った。ただしこれにも「高い目標をもちすぎると選手はうまくいかない。何気ない1日として試合をこなし、勝ってくことが大事」というちゃんとした新庄なりのメンタル哲学がある。その昔阪神時代に「明日も勝つ!」と意気込んで宣言した後12連敗してしまったことから学んだのだろうか。

さらに「監督ではなくビッグボスと呼んでほしい」とこれまた前代未聞な宣言。インドネシアに住んでいた頃に呼ばれていたようだが、この呼び名に同じ称号を持つ伝説のボスを知る者達が反応し、就任会見一の爆弾発言となった。「日ハムは国境なき球団、やがてダイヤモンド日ハムになるのか」とあっちのビッグボスを重ねるようなファンもいた模様。

2021年シーズンのファンフェスにて、監督として初めて北海道のファンの前に登場。なんと札幌ドーム内でカウンタックを爆走させての登場である。

…野球監督とは(哲学)


オフにはテレビに出まくると発言するように、就任早々やりたい放題やっているようにも見えるが、一方でオフシーズンが一番活躍している野球の上手い芸人こと杉谷拳士には(前シーズンの成績の悪さもあって)テレビ出演を禁じて野球に専念させるなど、オン・オフの切り替えは徹底しているようである。


なお彼が監督に就任した影響か否か、監督就任発表後に行われたファンフェスや契約更改、各種イベントにおいて全力ではっちゃけたりこれまでとはキャラが少々変わる選手が多数出てきている。(など。他にも多数、どころか大半の選手はそうである。)


そして2022春季キャンプが始まると、「BIGBOSS流」は加速していき、チーム外からの臨時コーチを招いたり、練習試合や紅白戦のスタメンで内外野をシャッフルしたり、打順をガラポンで決めたり…斬新なことを数多やっているが、ファンが思っているより効果はある様子である。


関連項目

阪神タイガース

北海道日本ハムファイターズ


森本稀哲…新庄剛志に多大なる影響を受けた弟子。

達海猛…漫画『GIANTKILLING』の主人公。日本国内ではスター選手、海外のチームでプレーした経験がある、引退後は海外で生活していた、低迷していた出身チームに突如監督として戻ってくる、破天荒だが芯のある理念を通してチームの存在感を上げていく等、監督就任時には共通点を指摘された。


外部リンク

『もう一回、鉛筆を転がしていいですか?』 ←ミリオネアについて

『新庄剛志伝説』←新庄の伝説をまとめた記事

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