概要
アタリコープが1993年11月23日に発売したROMカセット交換式ゲーム機。価格は250ドル。
日本でも1994年12月8日に発売されていた。価格は不明(恐らくは3万円だったと思われる)。
当時の状況
かつてはAtari2600でアメリカに家庭用ゲームを根付かせ、家庭用ゲーム市場を開拓したアタリ。1980年代初頭はテレビゲーム=アタリと言っても過言では無かった。
そんな偉大な会社のブランドと共に家庭用ゲーム機事業を引き継いだアタリコープだったが、アタリ時代とは裏腹に不振が続き、任天堂とセガのシェア争いの中に埋没していった。
元々アタリコープは誕生の経緯からしてパソコンメーカーとしての性格が強い会社だったが、この頃にはそのパソコン市場からもPC/AT互換機とMacintoshによって追い出されてしまっており、不振続きの家庭用ゲーム機事業に社運を託さざるを得ない状況に陥っていた。
もう後が無いアタリコープの存亡は、Atari Jaguarに懸かっていた。
折しも当時は16ビットを強調したメガドライブが発売されたことを切っ掛けに、ゲーム機の性能に関心を持つユーザーが増えており、性能を測る目安としてビットに注目が集まっていた。
そこでアタリはこのゲーム機が「64ビットシステム」であることを強調し、
全米で「Do the Math.(計算してみろ)」のスローガンを声高に叫んだ。
本体にも堂々と「64-BIT INTERACTIVE MULTIMEDIA SYSTEM」の文字を記していた。
当時はまだ16ビットのスーパーファミコンとメガドライブが主役であり、一か月前に32ビットの3DOが発売されたばかりだった。そんな最中に突如出現した64ビット機である。
競合他社は戦慄し、ユーザーは7年ぶりとなるアタリの据え置き新機種に大いに期待した。
仕様
しかし、Jaguarの実態はユーザーの期待や競合他社の憂慮を大きく下回るものだった。
性能
64ビットと宣伝されたゲーム機だが、実際は32ビットのチップ3基と、64ビットのプロセッサ2基が複雑に組み合わされており、はっきりとしたメインCPUが存在しないハードだった。
合計5つのプロセッサをそれぞれ並列処理しなければならない設計の為、ゲームソフトの開発は困難を極め、リリースされたソフトは67タイトルに留まった。
複雑な設計故に性能が発揮されず、発売されたソフトも16ビット機で充分作れたようなゲームが大半だった。3Dポリゴンを扱うとすぐに処理が重くなり、レースゲームですら低速になりガクガクした動きになってしまい、ユーザーの目にはひどく低品質なものに映った。
JaguarのROMカートリッジの最大容量は6メガバイトであり、これは前世代機にあたるスーパーファミコンのカセット最大容量と同等だった。
コントローラー
Atari7800まで旧態然としたコントローラーを採用し続けていたが、Jaguarになってようやく当時の主流であるゲームパッドに歩み寄りを見せた。だが、同時にAtari5200時代の主流に回帰してしまった面もあった。コントローラーの下側にあるテンキーがそれである。テンキーにはゲームソフト付属のオーバーレイを被せることで用途が分かりやすくなるのだが、言うまでも無く普通にコントローラーを持った場合はテンキーなんて押しにくくて仕方が無い。
しかし、このコントローラーの真の問題点は接続端子だった。端子が非常にゆるく、ちょっとしたことで本体からすっぽ抜けてしまうのだ。「ネズミが家のどこかで屁をこいたら抜け落ちる」とまで評された。
カセットの挿入口
通常のカセット式ゲーム機は挿入口に埃などを防ぐための蓋が付いているのだが、何とJaguarにはそれが無く、挿入口がむき出しになっているのだ。
10年前に発売されたファミコンには当然蓋が付いており、ファミコンよりも更に古いカセットビジョンやチャンネルFにすら付いていたにも関わらず、である。
拡張機器
1995年9月21日に拡張機器として『Atari Jaguar CD』が発売された。当時の価格は149.95ドル。これをJaguar本体上部に接続することでCD-ROMのゲームソフトがプレイできるようになるのだ。JaguarCDの背面にはカセットのスロットも付いており、JaguarCDを取り付けたままの状態でカセットとCDの両方のゲームソフトをプレイすることができた。
しかし、Jaguarのカセットソフトすら一向に増えない状況ではJaguarCDのソフトが揃う筈も無く、僅か15タイトルしかリリースされなかった。
その上JaguarCDは故障率が高く、カセットもCDもロクにプレイできないことが大半だった。
発売後
Atari Jaguarの全世界累計販売台数は僅か25万台に留まり、売れなかったゲーム機のワースト3として悪名を轟かせてしまう。そのうち日本での売上はたったの3000台である。
最後の戦いにも敗れたアタリコープは、その後ハードディスクメーカーのJTS社に吸収合併され、遂に企業としての歴史に幕を下ろすことになってしまった。
散々な仕様に散々な結果に終わったゲーム機だったが、当時のゲーム業界に与えた衝撃は大きかった。
その中でもセガは、開発中のセガサターンが現行機のメガドライブよりも格段に高価だったため、メガドライブユーザーにサターンではなくJaguarへ移行されることを危惧していた。
Jaguarに対抗すべく急遽スーパー32Xを投入したが、結果的にはこれがセガのブランドに大ダメージを与えてしまい、後継機種の苦戦とそれに伴うセガのゲームハード事業からの撤退を招いてしまう。
見方によっては、Jaguarはセガを道連れにしたゲーム機と言えるかも知れない。
現在
多機種対応ワイヤレスコントローラー規格『BlueRetro』のJaguar用アダプタ「Jag BT」に登場により、当時よりも格段に遊びやすくなっている。
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