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橋本龍太郎の編集履歴

2023-02-21 19:56:22 バージョン

橋本龍太郎

はしもとりゅうたろう

橋本龍太郎とは、日本の政治家。第82・83代内閣総理大臣。

概要

日本政治家。第82・83代内閣総理大臣(在任1996年1月~1998年7月)、第17代自民党総裁(在任1995年9月~1998年7月)。剣道師範。登山家。


人物像

1937年7月29日生まれ、東京都出身。

スッパマンに似ている。身なりには人一倍気を使っていたと言われ、ポマードでセットしたような頭髪で知られていたが、実際は水性ヘアクリームを使っていたとのこと(本人談)。イケメンな顔つきで、煙草がよく似合うと言われていた。クールなキャラクターで女性人気も高く,橋龍と親しまれていた。


総理時代

自社さ連立政権の村山富市首相が退陣した後を受け就任。バブル崩壊の後始末と財政赤字が問題視される中、「六大改革」を掲げ、中央省庁再編、税制改革緊縮財政策が実施された。


在任中の消費税率引き上げ、健康保険の自己負担率引き上げ、特別減税廃止などの失政により1997年秋からの景気後退を招き、1998年7月の参議院選挙で大敗し退陣した。


挫折を余儀なくされた橋本の改革路線は、小泉純一郎の「聖域なき構造改革」として引き継がれることになる。


六大改革

行政改革、財政構造改革、社会保障構造改革、経済構造改革、金融システム改革、教育改革の6つの総称。特に行政改革に橋本は力を入れており,「火だるま行革」と呼ばれるほどだったという。


税制改革の失敗

消費税増税と法人税・所得税減税は、財政再建と経済活性化を狙ったものであったが、結果的にはどちらも逆効果となり失敗した。消費税増税により税収が約4兆円増えたが、所得税と法人税の歳入が激減し、差し引き2兆5千億円もの税収減となった。1998年度には名目GDPは前年度比マイナス2%となり、これ以降の日本経済はデフレ局面に突入している。


総理退任後

1998年の小渕内閣の時に首相外交最高顧問に就任。2000年には森内閣からの要請もあり沖縄開発庁長官に就任。その後、2001年には省庁再編で誕生した「沖縄及び北方対策担当大臣」に就任する。そのさいの仕事ぶりが高く評価され、「ポスト森」として注目を集めた。


2001年の総裁選で再起を目指すが、絶大な人気を誇った小泉純一郎に大敗。森内閣に続いて入閣を打診されていたが、これを断っている。2003年の総裁選では自身の派閥から候補者を出すも落選した。郵政選挙のさいに不出馬と政界引退を表明、地盤を次男の橋本岳に譲る。


2006年7月1日、多臓器不全で死去。68歳没。


逸話

剣道と登山

Wikipediaで登山家と明記されるほどの登山好きで、中学時代はいつも登山に行っていたとか。また、剣道への熱中は激しく、師範格まで上り詰めている。


喫煙

かなりのヘビースモーカーで,1日に数十箱ほど吸っていたとか。なお,本人が語っていないため詳しくは分からないが,18歳から吸っていたとか(なおどこかの民主党議員も同じようにしていた)。


家族,友人関係

父は政治のドンと言われた橋本龍伍。吉田内閣の際に官僚を務めた。


弟・大二郎も政治家(元高知県知事)。実際彼が龍伍急死時に被選挙権を得ていたら,龍太郎は剣道と登山に集中するつもりだったらしい。


友人

中学校の同級生に安部譲二がいる。


関連タグ

政治 佐藤栄作 田中角栄 竹下登 小渕恵三 小泉純一郎 小沢一郎

登山 剣道

スッパマン 就職氷河期


村山富市(前任/81代)→橋本龍太郎小渕恵三(後任/84代)

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