本項ではそれぞれについて説明する。
メイン画像は寝台特急「鳥海」と「あけぼの」それぞれのヘッドマーク。
寝台特急「鳥海」の概要
誕生の経緯
列車「鳥海」としては国鉄時代から通算して5代目。ここでは関係が深い「あけぼの」についても触れる。
1990年9月より上野駅~新津駅~秋田駅~青森駅間で運行を開始。後述の夜行急行「鳥海」と同じく新潟駅を経由しない。
この頃、上野駅と青森駅とを結ぶ寝台特急として他に東北本線経由の「はくつる」1往復に東北・奥羽本線経由の「あけぼの」2往復があった。ところが1990年から山形新幹線の第1次建設工事にて福島駅~山形駅間を標準軌化することになり「あけぼの」は入線出来なくなった。そこで「あけぼの」の1往復は大宮駅から高崎線に入り上越線・羽越本線・奥羽本線を経由して青森駅まで至るルートに改め愛称も「鳥海」に変更、「あけぼの」として存続した1往復は福島駅から東北本線を直進し仙台駅を経て小牛田駅から陸羽東線を経由し新庄駅に至り奥羽本線を北上するルートに変更し存続した。
1993年12月1日に寝台特急「出羽」を統合し「出羽」は消滅した。
そして2代目「あけぼの」に
1997年3月22日、秋田新幹線の開業にともない「あけぼの」が廃止されたが、この際「鳥海」自らが2代目「あけぼの」に改称されて消滅。
2代目「あけぼの」2014年3月のダイヤ改定での臨時列車化を経て2015年1月まで運行され本州だけで完結する最後の寝台特急となった。
車両は24系客車が使用され、機関車は上野駅~長岡駅がEF64、長岡駅以北はEF81が使用されていた。
ちなみに寝台特急「鳥海」のヘッドマークのデザインは4代目「鳥海」のときに用いられたデザインでもあった。
さらに言えば2代目「あけぼの」(臨時)にも583系が使用されたことがある。
上記のいきさつから、寝台特急時代の「鳥海」は「あけぼの」とある意味表裏一体の関係になっていたことがうかがえる。
国鉄時代の列車「鳥海」の概要
国鉄時代に「鳥海」を称した列車は4代に渡り昼行急行として2度、特急として1度存在している。
初代(夜行客車急行)
1950年12月改正で上野駅~秋田駅間を東北本線・奥羽本線経由で運行する夜行客車急行401・402列車に「鳥海」と命名されたのが始まり。6年後の1956年11月、運行区間を青森駅まで延長し「津軽」に改称され消滅した。「津軽」としてはのち客車から電車になり仙山線経由に変更されたりしたが、定期列車としては1993年まで存続した。
2代目(昼行客車急行)
1956年11月改正で新たに上野駅~山形駅~秋田駅間の昼行客車急行に命名。上野駅~福島駅間は仙台駅発着の「青葉」に併結、1961年10月から併結相手が常磐線経由から東北本線経由に変更された仙台駅発着の「みやぎの」に変更された。
1962年10月からは「みやぎの」が451系電車化されかつ単独運転となり併結を解消、新たに喜多方駅発着の「ばんだい」を上野駅~郡山駅間で併結した。しかし、1965年10月改正で「たざわ」に改称され消滅した。ちなみにこの列車は1968年10月改正で昼行気動車急行「おが1号」となり4代目「鳥海」である昼行特急が不定期化された1985年3月まで存続した。
3代目(昼行気動車急行)
1965年10月改正で新設された上野駅~秋田駅間(新潟駅経由)の昼行気動車急行に命名。以後の「鳥海」は、名は体を表すとはこのことか、より鳥海山に近い羽越線の列車の愛称に用いられるようになる。1971年8月から昼行の「鳥海1号」は只見駅発着の臨時急行「奥只見」、翌1972年3月改正では柏崎駅発着の急行「よねやま」も併結し三層建ての列車となる。上野駅~小出駅間は最大14両の威容を誇り小出駅と長岡駅で分割併合を行った。しかし同年10月改正で上野駅~秋田駅間の気動車特急「いなほ」が電車化され増発したため「鳥海1号」は運転区間を新潟駅~秋田駅間に変更して「羽越」に改称、「よねやま」と「奥只見」は単独運転となりどちらも経路を変更して存続した。なお「羽越」は1982年、「よねやま」は1985年、「奥只見」は1988年に廃止されている。
もう一つの3代目(夜行客車急行)
「ヨン・サン・トオ」こと1968年10月改正で上野駅~秋田駅間(水原駅回りで新潟駅を経由しない)の夜行急行「羽黒」を「鳥海」に改称し編入。この改正で夜行はこの定期1往復のほかに臨時も設定し多客期は夜行2往復となる。1972年10月改正では夜行の臨時列車1往復は上野駅~新潟駅間の夜行急行「天の川」が白新線を経由して秋田駅まで延長されたことにより削減、先述のように昼行も廃止されたため「鳥海」は旧「羽黒」の夜行1往復のみとなる。その「鳥海」1往復も東北新幹線・上越新幹線が部分開業した1982年11月改正時に格上げされ特急「出羽」となり消滅…したのだが11年後の1993年、今度は「出羽」が5代目「鳥海」に統合され消滅する。
4代目(昼行電車特急)
先述の1982年11月改正で上越新幹線大宮開業後、特急「いなほ」の発着駅を新潟駅として上野駅発着の1往復を「鳥海」に改称して「いなほ」から分離した。この4代目は、上越新幹線が上野駅に乗り入れた1985年3月のダイヤ改定で不定期化の上、秋田駅~青森駅間を廃止、さらに1987年4月の国鉄の終焉とともに、JR東日本に引き継がれることなく姿を消した。車輌は485系が使用されたが不定期化の直前には、583系が代走したことがあった。
そのものズバリ「鳥海」臨時乗降場
急行時代からの「鳥海」の運行ルートの中心でもあった羽越本線には、南鳥海駅が存在する。駅は山形県酒田市の北部、大字米島小字南鳥海に所在し、もともと国鉄時代に(方角のつかないただの)鳥海臨時乗降場として開設され、のちに常設駅に昇格した際に南鳥海駅と改称された。
この南鳥海駅は2面2線のホームを持つ無人駅で、普通列車のみ停車する。
ちなみに北隣の遊佐駅は現在「いなほ」号が停車する。かつては急行時代と特急時代の「鳥海」を始め「あけぼの」「出羽」「天の川」号なども停車した。