マレーシア
まれーしあ
概要
首都 | クアラルンプール |
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面積 | 33万803平方キロメートル |
人口 | 3244万7385人(2020年7月) |
建国 | 1957年8月31日(イギリスより独立) |
民族 | マレー人・華人・インド系など |
宗教 | イスラム教・仏教・ヒンドゥー教・キリスト教など |
公用語 | マレー語(マレーシア語)。この他準公用語として英語(独自の方言と化しており、マングリッシュと呼ばれる)、中国語(潮州語や海南語と云った方言のようなものも使われる)、タミル語(インド南部由来の言語)も使用 |
国歌 | ネガラク(我が国) |
通貨 | リンギット(RM) |
国家元首 | トゥンク・アブドゥラ・スルタン・アフマド・シャー(パハン州のスルタン) |
政体 | 議院内閣制 連邦立憲君主国 |
マレーシア(マレー語:Malaysia、英語:Malaysia)は、東南アジアに位置する連邦立憲君主国。マレー半島南部とボルネオ島北部に跨っており、タイ・シンガポール・ブルネイ・インドネシアと国境を接している。法律上の首都はクアラルンプールだが、1999年7月に首都機能はプトラジャヤに移転している。意外と知られていないが、立憲君主制で国王が存在している。この国が面するマラッカ海峡はソマリア沖と並んで海賊の多発地帯として有名である。
歴史
1511年8月にマラッカ王国がポルトガルに征服されて陥落し、その後は1641年1月にオランダの統治が開始された。1824年3月にイギリスとオランダは協約を締結し、イギリス領マラヤとしてマレーシアはイギリスの統治に服した。
1941年12月に日本軍によってイギリス軍が駆逐されるも、1945年9月に再度イギリスの統治に服した。1948年2月にマラヤ連邦の一部となり、1957年8月にその状態で独立した。1963年9月にイギリスから独立した北ボルネオ・サラワク・シンガポールを加えてマレーシアとなるが、1965年8月にシンガポールはマレーシアから追放される形で独立した。
「Wawasan 2020」という国家プログラムを掲げており、これは端的にいえば「2020年までに東南アジア初の、そしてイスラム教国として初の先進国入りを果たす」というもの。東南アジアにはシンガポール、イスラム教国としてはUAEやカタールなどの先客がいるため、「初の」という目標はいずれも果たせなかったものの、現在の著しい経済成長を鑑みるに「2020年までに先進国入り」との目標は概ね達成されたとみてよい。
社会
経済
植民地時代から天然ゴムのプランテーションやスズの採掘など、特定の農産物や鉱物生産に頼るモノカルチャー経済が長らく続いていた。1981年12月にマハティール首相による日本を手本にした「ルックイースト」政策を実施した事により、工業化と経済成長の2つを達成させた。
国旗
1950年5月に国旗が採用され、1963年9月に現在のデザインとなった。月と星はイスラム教のシンボルである。赤・白・青の3色は旧宗主国のイギリスから、紅白の14本の線は独立時の州の数を表している。
選挙で変わる国王
マレーシアでは現代の君主国の中では珍しく、選挙で国王が変わる国である。一般的に国王は世襲で変わるが、マレーシアの場合は13州の内9州にいる首長であるスルタンから投票で選ばれ、5年の任期で内閣の補佐を受け行政を行うとされる。しかし実際は各州のスルタンの輪番制による持ち回りになっている。なおスルタンはイスラム世界における君主号の1つで、各州のスルタンは勿論世襲によって王位を継承する。
ブミプトラ政策
1971年7月よりマレーシアは経済を支配する華人に対するマレー人(ブミプトラ)の政治・経済的体力を高める為、マレー人の優遇政策を実施している。
具体的にはマレー人に優先的な大学の入学・公的機関への就職・良い条件の住宅への優先措置などである。これはマレー人の他の民族に対する特権意識にも繋がり、時折民族間で諍いが発生する事もあり、政府も何度か緩和を試みているが実現していない。加えてマレー人の出生率が2.9に対して華人は1.3と極めて低く、遠くない将来マレー人が華人を凌駕する可能性が高まっている。
1965年8月にマレーシアから追放されて独立したシンガポールでは、対照的に諸民族を「シンガポール人」として平等に遇している。
国際関係
旧宗主国のイギリス・日本・オーストラリアなどと貿易を通じて密接な関係を持ち、隣接するタイ・シンガポール・インドネシアなどのASEAN諸国とも密接な関係を持っている。近年は中国・韓国との関係も強化している。イスラーム教国である事から中東諸国との結びつきが強い。1957年8月以来イギリス連邦の加盟国である。
アメリカ合衆国
1957年8月に外交関係を樹立し、伝統的に軍事・経済・教育の分野で同盟関係にある。2014年4月からアメリカはマレーシアを包括的パートナーと見なし、バラク・オバマ大統領のアジアへのピボット政策の一環として外交関係の重要性を高めた。このパートナーシップによって政治・外交・貿易・投資・教育・人と人との繋がり・安全保障・環境・科学・技術・エネルギーに関する2国間協議と協力が強化され、これは2017年9月にドナルド・トランプ大統領政権下でも引き続いた。
日本
1957年9月に外交関係を樹立し、温かい外交関係を築いている。1981年12月に「ルックイースト政策」を掲げたマハティール政権と、それを継承したアブドラ政権で緊密な両国関係が維持され、トヨタ自動車・日本航空・イオンなどの日本企業がマレーシアへ進出するなど密接な外交関係を築いてきた。
一方、近年はマハティール元首相が失われた30年や、終わりの見えない円安に言及し、「私が日本の若者なら、諸外国への出稼ぎを考える」と発言するなど、以前のように憧れの国としてのみ見られることはなくなりつつある。
意外と誤解されがちだが「南京大虐殺」は普通に教科書には載っており、教育課程で日本の負の歴史として教えられる。親日国となったのは日本国憲法制定による戒めと幾度にも渡る入念な外交による努力の賜物である。
しかし、2020年代に入ると三井不動産があろうことか華人処刑場跡地にららぽーとを立ててしまったり、政府が南京事件の削除や改憲に積極的だったり、おまけに平行して発生しているパレスチナ問題に伴うイスラエル国への軍事支援検討や「命」をテーマに掲げているにも関わらず大阪万博に同国を招待するなど、反イスラエル色の非常に強いマレーシアとの関係に亀裂を入れかねない命知らずな行為を日本が繰り返しているため、今後が不安視されている。
イギリス
1957年8月に外交関係を樹立し、イギリスの植民地支配によって両国関係は条件付けられて形成された。1948年1月のマラヤ連邦創設以来相互の指導者の間で、数回の訪問が実施された。