概要
日本史の学習において、鎌倉幕府がいつできたかを覚えるためにできた語呂合わせである。
そもそも、この語呂合わせは源頼朝が征夷大将軍に就任した1192年(建久3年)が鎌倉幕府の成立年であると考えられていた頃に作られたものである。ところが近年、その通説に対して様々な観点から異論が示されており、下記の通りいくつかの説が鎌倉幕府の成立年の候補になっている。
なお、実際には1980年代ごろから歴史学者の間では「源頼朝の征夷大将軍就任をもって鎌倉幕府成立と見做すのは江戸時代の歴史観を無批判に受け入れているだけではないのか?」という考えが一般的になっていた。
そもそも、「征夷大将軍」という官職が政治的な意味をもつのは、全国の武士を指揮下に置くため護良親王と足利尊氏がこの官職をめぐって争ってから始まったのであって、源頼朝の就任以前は朝廷に従わない蝦夷を討つために臨時職として置かれた官職に過ぎないのである。
つまり、「いい国作ろう鎌倉幕府」の語呂合わせを覚えた最後の方の世代は「征夷大将軍という官職を重要視した歴史学の定説」を重要視し、時代遅れとなった過去の定説を学校で習いつづけた結果である。(実は、このような「大学の専門課程で習う事に比べて、高校で習った事は実は時代遅れの古い説や考えに基いたものだった」という問題は、歴史などの文系教科のみならず理科、特に生物学でも良く起きている。)
候補
- 候補1:1180年(治承4年)…源頼朝、平家打倒のため挙兵し、大倉(鎌倉)に御所を置く。
- 候補2:1183年(治承7年)…朝廷から源頼朝に東国における荘園・公領からの年貢納入の保証を受ける。
- 候補3:1185年(文治元年)…平家滅亡、同年、朝廷から守護・地頭を置くことを認められる。
- 候補4:1190年(建久元年)…源頼朝、右近衛大将就任(すぐ辞任)、大犯三ヶ条を定める。
- 候補5:1192年(建久3年)…源頼朝、征夷大将軍に就任。
大別すると上記の5つに分かれるが、現在では守護・地頭の設置を朝廷が認めた1185年(文治元年)が、最も有力な鎌倉幕府成立年と考えられている。
要は「いつを鎌倉幕府の成立と見做すか?」という設問は、「鎌倉幕府の持つ様々な属性・政治機能の内、どの時期からあったか。を最も重要と見做すか?」という設問と切離せない表裏一体のものである、と言っても良い。
- ネタ候補:4192年…「よい国作ろう鎌倉幕府」って...それじゃ未来なんですけど、ガッツ石松さん。
関連タグ
おれは直角 - OP曲の歌詞に引用。放送当時は1991年であり、上記の通説が歴史学者の間では古い考えと化していたが、中学・高校の授業では教えられていた時期でもある。
逃げ上手の若君 - 放送開始は2024年夏であり、上記の定説が1192年から1185年に変わったことがEDアニメに暗示されている。