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概要編集

1991年3月21日生まれ、フランスブルゴーニュ地域圏ソーヌ=エ=ロワール県マコン出身。ポジションはFW


身長は175cmとサッカー選手としては大柄ではないが、技術と視野の広さを武器に活躍している。


経歴(クラブ)編集

ECマコンでサッカーを始めた。なお、マコン在籍時、プロクラブの入団テストを何度が受験したが、いずれも体のサイズが基準に達していないという理由で軒並み不合格とされている。UFマコネーのユースを経て、2005年レアル・ソシエダのユースへ移籍


2009年にレアル・ソシエダのトップチームへ昇格すると、5ゴール(チーム1位)を挙げ、一躍注目を浴びた。開幕からトップチームに帯同し、2009年9月6日のレアル・ムルシア戦で途中出場して18歳でリーガデビューすると、9月27日のウエスカ戦では初先発と初得点を記録し、その後はレギュラーの座を確保した。


2014年7月28日アトレティコ・マドリード移籍。アトレティコではディエゴ・シメオネの下で2トップの一角としてプレーし、アトレティコ式の守備を覚えた後半戦は好調を維持し、22ゴールと結果を残した。


2019年FCバルセロナに移籍。しかし、全体としてチームにフィットしきれず、計15得点に留まった。


2021年アトレティコ・マドリードに期限付き移籍した。2021-22シーズンは、リーグ戦3得点、公式戦通算8得点と得点数は伸び悩んだが、シメオネ監督に献身的な守備やパス能力を評価され、公式戦36試合に出場した。


経歴(代表)編集

フランス代表として各年代の代表でプレーし、2010年に開催されたUEFA U-19欧州選手権においては、U-19フランス代表の一員としてピッチに立ち、チームの優勝に貢献している。


一方で、2012年11月、U-21代表の招集中にチームメイトらと共に夜遊びをし、2013年12月31日まで世代別代表を含む代表戦への出場停止処分を受けた。


その後復帰し、2014年3月5日、オランダとの親善試合でA代表初出場を果たした。同年6月1日のパラグアイとの親善試合で代表初得点を記録。2014 FIFAワールドカップ本大会にも出場した。


2016年にフランスで開催されたUEFA EUROでは、準々決勝のアイスランド戦で、UEFA EURO 2016本大会通算100得点目を決め、準決勝のドイツ戦でも2得点を挙げるなど活躍し、1984年大会のミシェル・プラティニの9得点に次ぐ、史上2位となる大会通算6得点を記録した。フランス代表は準優勝だったが、ゴールデンブーツ(得点王)に加え、最優秀選手賞も獲得した。


2018 FIFAワールドカップでは、大会通算4得点でブロンズボール賞、シルバーブーツ賞を受賞。同大会でのフランス代表の優勝に貢献した。


騒動編集

 2019年夏にFCバルセロナがプレシーズンツアーで日本を訪れたが、その際グリーズマンと当時同僚だったウスマン・デンベレが滞在したホテルの日本人従業員に対し「醜い顔ばかりだ。恥ずかしくないのか」と発言した。

 加えて、スタッフの顔をアップで撮影しつつ「どんな後進国の言葉なんだ」「お前の国は技術的に進んでいるんじゃないのか」等とも発言した。2021年夏頃にこれらの内容が記録された映像が流出し、人種差別ではないかと物議を醸す事となった。

 この事態を受けて、コナミはグリーズマンとのアンバサダー契約を打ち切ったほか、当時FCバルセロナスポンサーだった楽天も抗議している(後にスポンサーを降板)。


この件について、グリーズマンは自身のTwitterで「僕は常にあらゆる差別に反対してきた。この数日、僕を本来とは違う姿に見せようとしている人たちがいる。僕は、僕に対する非難に断固として反論する」と反差別の姿勢を強調し、続けて「日本の友人たちを怒らせたのなら申し訳ない」と謝罪したが、日本のみならず中国などアジア圏のサッカーファンからのイメージは低下した結果となった。

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