概要
かつてオスマン帝国で用いられていた言語であり、同国の公用語であった。
アラビア語やペルシア語同様にアラビア文字を用い、右から左に向けて筆記する言語であった。
ムスリム商人らによって用いられていた元クレオールであった歴史から平易で学習しやすい洗練された文法構造を有しており、またアラビア語から譲り受けた汎用性の高い造語能力を持っていた。
このことから、表記以外の面では非母語話者の学習・習得に適しており、世界言語となる可能性を秘めていたが、唯一その表記法の難易度は極悪そのものであった。母音字のないアラビア文字が8種類もの母音を使い分けるオスマン語固有の語彙と相性が悪く、それでいながら有識者の中には固有語の母音をどうにか表記しようとするどころか、逆にアラビア語風に母音を表記しない有識者も数多くいた程である。このためアラビア文字に母音を加えた表記法や、全く新規のアルファベット表記法なども考案されたものの、イスラーム社会の盟主たるオスマン帝国の言語である以上、アラビア語上位の思想から脱却する事は困難であった。
結局はこの表記上の欠陥と1923年のアタテュルク初代大統領による政治・宗教政策により、人為的に廃語に追いやられ、母語話者を完全喪失した。
なお、現存する言語の中で最もオスマン語に近いとされているのはアゼルバイジャン語、とりわけイラン西部で用いられるものとされている。傍証としてアタテュルク(オスマン語話者)はパフラヴィー朝イラン帝国初代皇帝のレザー・シャー(アゼルバイジャン語話者)との会談において通訳を置かずに行っていたという。
現状
すでに死語となっているが、文献的資料が非常によく残されているため、外国語としての習得は可能であり、特に西洋史やイスラム文化史を学ぶ上では学習が必須ともなりうる。
現在トルコ共和国で用いられているトルコ語は、このオスマン語から文字表記体系を変更した上で、土着語や外国語の借用により徹底的にアラブ色、イスラム色を廃して成立した人工言語であり、トルコ共和国ではオスマン語は個別の言語ではなく、トルコ語の古文という扱いで学ばれている。ただし、トルコ語とオスマン語の差異は前述の文字体系の違いもあって、日本語における現代標準語と古文の差異をもはるかに上回るものであり、相互理解性は全く有していない。
トルコ語はオスマン語の洗練された平易な文法構造をさらに単純化させた言語であるため、非母語話者の習熟率が非常に高い言語として知られている。需要こそないが、日本語とは語順にも大きな差異が存在しないこともあり、韓国語と並んで日本人が最も習熟しやすい言語として、語学オタク界隈では密かに有名な存在である。