概要
シャルル・ペロー(Charles Perrault)はフランスの詩人。
1628年、パリの裕福な家庭に生まれる。父は法律家。オルレアン大学で法学の学位を取得し弁護士となるが、弁護士としての活動は二度の弁護をしただけである。
財務大臣・ジャン=バティスト・コルベールに認められ、ルイ14世に仕えた。
王属建築総監としての職務の傍ら、アカデミー・フランセーズ(フランスの国立学術団体。フランス語の純粋性の保持を目標としている)の会員としても活動していた。
「(オウィディウスやウェルギリウスなどの)古典文学よりも現代文学の方がすぐれている」と述べたため、同じアカデミー・フランセーズの会員である、詩人・批評家のニコラ・ボアロー=デプレオーと対立し、古代人と近代人のどちらが優れているかを争った( → 古今論争)。
晩婚で、44歳のときに19歳のマリー・ギション(Marie Guichon)と結婚。6年のうちに3男1女をもうけるが、妻は末子ピエールを産んで半年あまりで亡くなった。
コルベールの右腕として20年ほど活躍したが、コルベールの死(1683年)とともに公職を退き、その後は子供の教育に力を注いだ。
当初は詩を書いていたが、詩人として名声を得るようになると、散文に転じ、物語を書くようになる。
1697年、民衆の間で語り継がれている口承の昔話を文章化した『過ぎし日の物語ならびに教訓』を発表する。この民間伝承を編纂した散文集・通称『ペロー童話集』は、グリム童話集やマザー・グースなどより前に民間伝承をまとめたものとして知られている(ペロー童話の頁も参照の事)。
代表的な作品
『韻文による物語』
(原題:Griselidis, Nouvelle avec le Conte de Peau d'Asne et Souhaits ridicules)
グリゼリディス(Griselidis)
おろかな願い(Les Souhaits ridicules)
ロバの皮 (Peau d'Âne)
『過ぎし日の物語ならびに教訓』
(原題:Histoires ou contes du temps passé, avec des moralités : Contes de ma mère l'Oye)
赤ずきん(Le Petit Chaperon rouge)
長靴をはいた猫(Le Chat botté)
青ひげ(La Barbe Bleue)
眠りの森の美女(La Belle au bois dormant)
仙女たち(Les Fées)
シンデレラ (Cendrillon, ou la Petite Pantoufle de verre)
巻き毛のリケ(Riquet à La houppe)
童話集の作者は誰なのか
1694年に出版された『韻文による物語集』はペロー本人の手によるものであるが、1697年に発行された『過ぎし日の物語ならびに教訓』の作者は誰なのかという議論がある。
『過ぎし日の物語ならびに教訓』には発行当初著者名がなく、第二版が出たときには「姫君へ」という献辞に、息子であるピエール・ダルマンクールのイニシャルが書かれており、ペロー自身の名前はない。しかし、大方の見方として、ペローの手が入ったことは間違いないのではないかといわれている。
シャルル・ペローの署名がない理由としては、「アカデミー・フランセーズの一員として名をなし、古今論争の火つけ役ともなった学者が、子供や女性向けの読み物を発表することを笑われないためのかくれみのとして息子の名を使ったのではないか」という説や「息子が書いたものに父ペローが手を入れたものではないか」「そもそも物語集を出すのは息子のアイデアであった」「子供を世に出すための親心のなせるわざ」などの説がある。
表記ゆれ
関連タグ
外部リンク
ペロー シャルル:作家別作品リスト(青空文庫)