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概要
1903年から1923年の艦隊整備計画枠で、黒海艦隊向けに計画された。クニャージ・ポチョムキン・タヴリチェスキーの改良発展型。
建造中に起きた日露戦争からの戦訓から、上部構造物簡素化によりトップへヴィーを緩和し、副砲の口径アップにより火力を向上、75ミリ単装砲のケースメイト収納、甲板の装甲化などが行われた。
工事中にイギリス海軍にドレッドノートが就役し(1906年)、完成前に時代遅れとなってしまった。
性能諸元
排水量 | 12,840t |
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全長 | 118.03m |
全幅 | 22.55m |
吃水 | 8.23m |
機関 | ベルヴィール式石炭専焼水管缶22基+直立型三段膨張式レシプロ機関2基2軸 |
最大出力 | 10,800hp |
最大速力 | 16.5kt |
航続距離 | 10kt/4,000浬 |
武装 | 1895年式40口径305mm連装砲塔×2基、1905年式50口径203mm連装砲塔×4基、1892年式45口径152mm単装速射砲×12門、50口径75ミリ単装速射砲×14門、オチキス25口径47ミリ単装砲×6門、45cm水中魚雷発射管×3基 |
乗員 | 879名 |
同型艦
1904年7月13日起工、1910年8月11日黒海艦隊に就役。ロシア革命後は様々な勢力の間を転々としたが、1919年にイギリスに接収されて爆破され、1923年に解体処分された。
艦名はキリスト教の聖人、ヨハネ・クリゾストモ(金口イオアン)から。
1904年11月13日起工、1911年8月11日黒海艦隊に就役。ロシア革命後は様々な勢力の間を転々としたが、1919年にイギリスに接収されて爆破され、1923年に解体処分された。
前級:ボロジノ級戦艦