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概要編集

艦級名はロシア皇帝パーヴェル1世(在位:1796~1801年)から。

ボロジノ級戦艦の改良型として建造される予定だったが、起工後日露戦争によって造船能力をボロジノ級に集中させたため、工期が遅れた。そのため戦訓を基にした新技術が取り入れられ、全く異なる艦級となった。


艦上構造物を簡素化して復元性を維持し、一部の副砲は連装砲塔に収めた。甲板装甲厚を増加させ防御力を向上させた。船体は乾舷の高い平甲板型で、水線上は強く引き絞られたタンブル・ホーム型。水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出する。マスト籠マスト

日露戦争の戦訓で、舷側の舷窓を廃止、艦橋を装甲化した。


性能諸元編集

常備排水量17,400t
満載排水量18,590t
全長140.2m
全幅24.38m
吃水8.23m
機関ヴェルヴィール式石炭専焼水管缶22基+直立型三段膨張式レシプロ機関2基2軸推進
最大出力17,600hp
最大速力18.5kt
航続距離12kt/6000浬
武装1895年式40口径305mm連装砲塔×2基、1905年式50口径203mm連装砲塔×4基、同単装砲×6門、1892年式45口径120mm単装速射砲×12門、パラノフスキー 40口径63.5mm単装砲×2門、オチキスQF 43.5口径47mm単装速射砲×4門、45.7cm水中魚雷発射管×3基
乗員712名

同型艦編集

インペラートル・パーヴェル1世

1905年10月27日起工、1910年7月29日黒海艦隊に就役。

1917年、ロシア革命により「レスプーブリカ」(共和国)に改名。

1923年、解体処分。


アンドレイ・ペルヴォズヴァーンヌィイ

1905年4月28日起工、1912年5月13日バルチック艦隊に就役。

1917年のロシア革命後の内戦では赤軍に所属。1919年、イギリス海軍水雷艇の攻撃で中破。

1923年、解体処分。


前級:スウィアトイ・エフスターフィイ級戦艦

次級:ガングート級戦艦


外部リンク編集

wikipedia:インペラートル・パーヴェル1世級戦艦

関連タグ編集

ロシア海軍 戦艦 前弩級戦艦

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