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スナッキーで踊ろう

すなっきーでおどろう

1968年にプリマハムの製品「スナッキー」発売に先駆けて発表された、海道はじめによる歌謡曲。
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概要

「スナッキーで踊ろう」とは、1968年にプリマハムの新製品「スナッキー」発売に先駆けて発表された、海道はじめによる歌謡曲シングル盤レコードである。

作詞は三浦康照、作曲は船村徹


これが問題の「スナッキーで踊ろう」である。まずは、お聞き頂きたい。




風呂場でもここまで響かない、と言う程に異常に強くかけられたエコー

そして歌い出しは「おおぉおおぉおぉぉ」と言う重厚な雄叫び、さらには高音の「あぁあああぁぁぁ」で畳み掛ける。

そのあまりのインパクトから「地底からの地響き」「地底人の侵略」「地獄谷の咆哮」と称される。

「せんなか~~~あーわせてーおんどろぉぉおよぉぉ~ぉほぉおおおお~」と言う、1~3番全てに入ったフレーズは「ケルベロスの遠吠え」の如し。


船村徹のライバル・遠藤実が「こまっちゃうナ」(山本リンダ)を当てていた事もあり、ゴーゴー・ソングとして作曲された。船村曰くあの不思議な旋律は「心に宿った破壊への衝動」とのことである。


後述するように「スナッキー」という商品そのもののセールスは全く振るわず、忘れられた楽曲と化していた…が、1980年代後半になってラジオ番組「コサキンDEワァオ!」(TBSラジオ)や赤坂泰彦の「ミリオンナイツ」(TOKYO FM)などの深夜ラジオで発掘され、「コサキンラジオ」では歌を担当した海道はじめを「スナッキーおじさん」として追跡した事もある。また、「ミリオンナイツ」では「地獄谷からの一人GS(グループ・サウンズ)」としてリスナーの間での定番となっていた。

ラジオの影響でじわじわと知名度を伸ばし、1994年にはNHKの(真面目な文化情報番組である)『ナイトジャーナル』で「謎の歌謡曲」として取り上げられ、制作秘話まで取材された。2021年には『天然素材NHK』という特別番組でこの回が特集されている。


2000年代以降は今でいう「電波ソング」のはしりとして、インターネットの普及も相まってコアな音楽マニア以外にも知られる存在となっていたが、2022年9月NHKの『レギュラー番組への道』という枠の一コーナーとして放送された「1オクターブ上の音楽」にて取り上げられたことでまた話題になった。番組では「本家」である歌手・海道はじめと、当時「スナッキーガール」としてコーラスバックダンサーを務めていた女優・吉沢京子が登場し、歌唱とダンスを披露した。


復刻版CDも発売されている。


海道はじめについて

海道はじめ(静岡県清水市出身 1942年7月24日~)

海道は作曲を務めた船村徹の弟子に当たり、本作がデビュー曲であった。その後、民謡歌手として、本名の坂越達明の名前で活動している。


地獄谷の咆哮だのケルベロスの遠吠えだのと言われていても、その歌唱力は素人のそれではなく、雄叫び以外の部分でわかる通り本来は非常に柔らかく伸びる歌声をしている。

あの「地響きのようなエコー」は、エフェクトもかけられているが、実は海道は「歌いながら口の中の空間を開いて、舌を高速で動かす事により、豊かな発声を維持した上で音をこもらせる」というスキルを持っており、これを使うことによりあの独特の響きの「おぉおぉおぉおぉ」という歌声を表現していたと語っている。その後実現したライブでも披露していた。


ちなみに、本人は歌謡曲演歌の歌手としてデビューできると思っていたため、楽譜を手渡された際にはかなり面食らったと『ナイトジャーナル』の取材で語っている。


「海道はじめ」の芸名は東海道一」という意味が込められているとのこと。

音楽活動の傍ら、中野ブロードウェイ2F・麦とろ専門店「丸子亭(まりこてい)」のオーナーを務めている。以前は自身が店頭に立ち調理・接客を行っていたが、現在は実の娘に店を譲り、本人は静岡に帰郷。静岡市清水区にて民謡ライブ茶寮「麦とろ・丸子亭 静岡店」を経営し、民謡教室も開いている。


スナッキーについて

プリマハムが1968年に発売した、そのまま火にかけられるレトルト・パッケージ入りのソーセージで、若者をターゲットとしていた。

しかしコンビニどころかスーパーマーケットすら少ない時代であり、街の肉屋で主に販売されていたが、若者はあまり近寄らないこともあって知名度が伸びず、販売は不調に終わった。


1968年当時、レコードには「本盤」と「PR盤」の二種類があり、CMソングコマソン)はPR盤に含まれる。PR盤はいわゆる販路限定品で全国販売ができず、通常の歌番組などでも流すことができなかった。また、テレビCMなども新商品ということで予算の都合上難しかったのであろう。プリマハムが編み出した広告戦略は、この(禍々しい)曲を、CMソングではない一般の楽曲として製品に先駆けてリリースし、「スナッキー」を「アメリカから来た新しいリズム!」(※完全なるでっち上げ)と銘打って流行させ、若者たちに「スナッキー」という単語を刷り込ませよう!という、ほとんどステルスマーケティングの域のものであった。

社員たちは日々せっせとラジオにリクエストの葉書を書かされていたが、露骨な宣伝が控えられていた時代。社では「絶対にプリマハムとは書くな」という掟があったという。

さらにプロモーションとして、全国で「スナッキー大会」なるイベントが開催されていたらしく、レコードにもダンスの振り付けが記されている。


レコードジャケットの写真では、海道はチェックのネクタイを手前にかざしている。スナッキーのパッケージもチェック柄で、若者はそれを見て思い出すはず…という算段であったらしいが、それはもはやサブリミナルである。


タイアップの一種とも言えるが、基となる商品の「スナッキー」の存在は発売まで徹底的に隠されており、その宣伝効果は正直なところ高かったとは言い難い。

さらに同年には『帰ってきたヨッパライ』の大ヒットがあり、楽曲そのものの(コミックソングとしての)人気も伸びなかったことも失敗の要因ではないか、ということが『ナイトジャーナル』にて触れられている。


現代ほど「仕込み」や新しいメディアであるテレビ、レコードの活用による広告戦略、マーケティングの手法が確立していなかった時代の試行錯誤の一つともいえ、興味深い事でもある。


スナッキーガールズ

本楽曲のバックダンサー/コーラスを務めた「スナッキーガールズ」は、小山ルミ(ケメ子)、吉沢京子(ミミ)、羽太幸得子(ハニー)の三人で、小山・吉沢はのちに女優として大いに活躍することとなった。なお、オーディションで三人が選出されデビューに至った、という触れ込みだが、三人ともリリース時点で既に少女モデル・女優として活動している。

ちなみに、過去に「ハニー」は風吹ジュンであるという噂が広まっており、一時歌手の海道も間違えて覚えていたほどであったが、当時風吹はデビュー前であり全くの別人である。かつて小山・吉沢・風吹の三人がテイチク・ユニオンレコードに所属していたことが噂に関係していると見られる。

先述の通り吉沢は『ナイトジャーナル』および『1オクターブ上の音楽会』にてダンスを披露したほか、すでに芸能界を引退している小山・羽太に代わって当時のエピソードを語っている。

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