タニマチ
たにまち
元々は相撲用語。諸説あるが大阪の谷町で医師をしていた薄恕一から来ているとされるのが有名。薄は貧乏人は無料、庶民は相場通り、金持ちには数倍の料金を請求する代わりいつどこにいても治療を断らなかった篤志の医師として知られていた。また、薄は好角家でもあり給料が出ない若い力士衆も無料で診察を行っており、こうしたことから力士達から「タニマチ」と呼ばれ親しまれていたという。
これが転じて、タニマチはひいきにしてくれる客、または後援してくれる人、無償スポンサーのことを指すようになった。タニマチは、ひいきの人間と夜遊びを楽しむことはもちろん、本業におけるチケット捌き等の協力、私生活における金銭や恋愛の世話やトラブルの処理など多岐にわたってサポートをする。
これらはすべて金銭的には無償が基本だが、そのかわりタニマチは有名人との交友関係を満喫したり結婚の面倒を見たりすることで周囲にその関係を自慢することを楽しみとし、人脈作りの足掛かりにするなど全くの無償というわけでもない。
語源である相撲界は多くの面でタニマチに支えられており、例えば相撲部屋を経営する際に悩みの種となる膨大な食費はしばしば入るタニマチからの差し入れに助けられている面も多く、また引退をした力士たちの就職も何かしらの企業を経営しているタニマチの力添えで得ることも珍しくない(力道山など)。
力道山が多くの制度や文化を整備した日本のプロレス界においてもタニマチの存在は大きく、ドン荒川などは前座どまりのレスラーながらその人間的魅力を遺憾なく生かして大企業や大物政治家をタニマチに抱えていたことで、新日本プロレスにおいて特異な地位を有していたことで知られる。
一方で、タニマチとの交流はおおむね10代後半あるいは20代前半から社会に出たばかりの若者の人生を左右するものでもあり、付き合いの匙加減を見誤ると大きな悪影響を及ぼすことも珍しくない。
比較的タニマチ文化の流入が新しく、親会社の経済的体力が強いため本来タニマチをさほど必要としない野球界では、タニマチはあまり良いイメージで語られることは少ない。特に阪神タイガースのタニマチは良くも悪くも熱心なため、暗黒期を抜け出すために悪戦苦闘した野村克也や星野仙一は著書でその存在について苦言を呈している。星野に至っては、地元はおろか遠征先にすら存在するタニマチ一人一人にあまり選手を遊びに連れて行かないように頼みまわったという話を明かしている。