概要
中央アフリカのアンゴラ、コンゴ、タンザニア、ザンビアの川や沼地などの水域に棲むと原住民によって報告がある未確認生物(UMA)。
犀や象に似ているがずっと大きく、三本の角あるいは大きな一本角と二本の牙を持つといわれる。
欧米人が原住民に恐竜図鑑の角竜を見せたところ「チペクウェだ!」とおびえたという。
また一説には角竜型ではないとも言われ、昭和の児童書では「さまざまな目撃証言を聞いたフランスの学者ムーネンがケラトサウルスだろうと言った」との記述もあった。
また、角を持つ恐竜ではないが、チェコではバリオニクスのようなUMAというイメージが定着しているという。
「チペクエ」とも呼ばれ、「エメラ・ントゥカ」(象の殺し屋、水辺の象)と呼ばれるUMAとも同一視される。
有名なモケーレ・ムベンベとは、このUMAも含めた大型の未確認生物をまとめた、現地での呼称であるともいわれる。
また、「チペクウェ」自体も特定の生物を指す言葉ではなく、水の怪物の総称であるとも言われている。これらの話によると、無数の未確認生物がチペクウェに包含され、そのチペクウェもモケーレ・ムベンベも包含される構図のようだ。
かつて日本の一部の書籍では「水ライオン」と訳され、水掻きのあるサーベルタイガーのような想像図が描かれたが、これは「コジェ・ヤ・メニア」という別のUMAである。とはいえ、前述の通り他の怪物もチペクウェに包含されるとされるため、まったくの誤りでもない。
目撃と報告の歴史
1840年ごろ
イスラム教徒のカロワ氏がタンガニーカ湖でカバを追い回すチペクウェを目撃。
1901年
チルプラ・スティーブンソンがチペクウェを見たという2人の人物から情報を得る。彼らによれば、川や湖の深いところにおり、非常に希少な生き物だという。チペクウェの存在は地域の多くの人が信じていたが、実際に見た人は少なかった。
1906年ごろ
R.M.グリーンがザンビアのルクル川でチペクウェに喉を引き裂かれ殺害されたカバの死骸が発見されたと近隣地域の先住民から聞く。
1907年
L.A.ウォレスが「地域に伝わる、チレングワ湖に棲むカバを捕食する水棲のサイ」を報告。
1909年
チョウンシー・スティガンドが地元住民に伝わる「水棲サイ」の伝承を報告。
1910年ごろ
バングウェウル湖とカフエフラッツに棲む、三本の角を持つサイのような生物の報告。
最近もムウォンボシの近くに出たと報告されている。
1911年
コンゴ・ザンベジ川、ルアンワ川とルアプラ川とムウェル湖周辺の水の深い所に棲んでいたが、ルアンワ川の水位が下がってからは目撃されなくなった、と報告された。
1922年
トーマス・アレクサンダー・バーンズがブアンガ族に伝わる水棲サイを報告。沼地で骨も見つかったという。
1928年
バングウェウル湖のほとりでザンビア地元住民によって目撃される。この時のチペクウェは体毛を持ち、足ではなく鰭があり、2本の下向きの長い牙があったと報告されている。
1931年
2月ごろ、ゴム園管理者のスウェーデン人ヨハンソンがカサイバレーで怪獣を目撃。全長15メートルで角があった。帰り道で再び怪物と遭遇。怪物はサイの皮を爪で裂き肉を貪っていたという。
同年、クレメント・マーティン・ドークがザンビアのランバ族に伝わる怪物イチソンガを紹介。イチソンガはカフエ川に棲んでいるサイ似た生き物で、植物食だがカバを殺すという。
1932年
アンゴラを訪れたションブルク探検隊の通訳ギマランイスが、ディロロ湖にチペクウェと呼ばれる生き物がいると発言。
同年、カサイバレーでUMAカサイレックスが目撃される。ベルナール・ユーベルマンはこれをチペクウェと同一視した。
1945年ごろ
カサイ川付近で鉱山技師がチペクウェらしき角の生えた生物を目撃。発砲したところ何発か命中したが、致命傷にはならず怪物は去っていった。
1954年
アラン・ブリグナルが湖(具体的な場所は不明)で目撃。長い首と小さな頭を持っていた。ブリグナルは、この生き物の額や顎まではっきり見たという。