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バルビーノ・ガルベス

ばるびーのがるべす

バルビーノ・ガルベスとは、かつて読売ジャイアンツでプレイした外国人投手である。
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概要編集

1964年生まれ。

1981年にドジャース入団も1986年以外メジャーでの登板はなく、1994年台湾に移籍。中信兄弟にて2年連続最多勝を獲得した。

1996年、読売ジャイアンツの入団テストを受け合格。当初は第三の外人的扱いであったが、同期入団のジェフ・マントが「クスリとマントは逆から読んだらダメ」と酷評される有様であったことから一気に浮上。最多勝となる16勝を挙げメークドラマに貢献した。

その後計5年間プレイしたが2000年は登板回数が減りゼロ勝に終わり退団。韓国のサムソンライアンズにて1年投げ現役引退した。


乱闘編集

とにかくガルベスと言えば乱闘というイメージも強く、1996年には山﨑武司に投げた球に対し山﨑が向かって行くとやってやろうじゃねえかとばかりに全く逃げずに殴り合った。この事は当然当時の番組でも取り上げられ、さらに2年後の夏の甲子園直前の阪神には判定に不服でその後ホームランを打たれたせいか審判に向かってボールを投げると言う暴挙を演じ、以後シーズン謹慎状態となった。8月頭での話であり当時9勝を挙げていたガルベスの離脱は巨人にとって痛手となり横浜の38年ぶり優勝の影のサポーターになってしまったとも言える。余談だが、その2日後は両者の報復デッドボールで2度の乱闘騒ぎとなり、それらの責任を取って当時の巨人監督だった長嶋茂雄が頭を丸刈りにしたのは有名である

と言うか、台湾でも乱闘騒ぎで解雇、韓国でも「就労ビザなかった」「母親の看病で勝手に帰国」などとにかく素行に問題があったようだ(グラウンドの外では紳士だったららしいが)。


だが…編集

それでも1996年のメークドラマに貢献、1997年もチーム最多勝の12勝を挙げ5年間で通算46勝を挙げた功績は無視できるものではなく、さらに言えば打撃も5年間で10本の本塁打を打つなど得意で、1999年には2本グランドスラムを放った。

そして何より、これ以降読売ジャイアンツは外国人の獲得に苦戦する事となり、次にタイトルを争えるような自前の外国人選手は12年後のスコット・マシソンまでかかったのである。


関連タグ編集

日本プロ野球でプレーした外国人選手一覧

読売ジャイアンツ 乱闘


お前が言うな 「カルシウム、不足していませんか?」とCMで言っていたが……。

二刀流

タイロン・ウッズ 韓国で対戦していた。

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