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ブリティッシュ・エアウェイズ38便事故

えんじんそうしつのなぞをあばけ

ブリティッシュ・エアウェイズ38便事故は別名”ブリティッシュ・エアウェイズ38便不時着事故”とも呼ばれ、、2008年1月17日にイギリス、ロンドンのヒースロー空港で発生した航空事故である。乗務員の咄嗟の判断で犠牲者は出なかったが、現物がまるまる残っていたにもかかわらず原因調査は難航した。
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パイロットも乗客も生きてますし、機体も何もかも残っていました。

原因だけが消えてしまったのです。魔法みたいに。

――― デビット・リアマウント。メーデーにおける当事故の紹介時のインタビューににて



事故概要編集

発生日時2008年1月17日
発生場所ロンドン ヒースロー空港
機種ボーイング777
乗員16名
乗客136名
犠牲者0名(全員生還)

ロンドン上空のQTE編集


その日北京国際空港を飛び立ちヒースロー空港に向かった38便は道中何事もなく順調なフライトを続けていた。

が、ロンドン市街上空にたどり着きあと少しで空港という高度720フィート (216m)というところでオートパイロット(以下AT表記)に任せて飛翔していた本機は着陸に分前の時点で強風に見舞われる。

そしてそれに対応してATがエンジンのスロットルを噴かせたところ、直後にエンジンが推力を喪失、操縦しても反応しなくなってしまう。


揚力を喪って失速し墜落というこの危機に、ピーター・バーキル機長は操縦はジョン・カワード副操縦士に任せつつ、自身は空港管制官にメーデーを通達しつつ本機の車輪を出しフラップを30から25に引き上げる。


その結果、グライダーと化した本機はハウンズローの市街地(その中にあるA3一般道路には当時のイギリス首相のゴードン・ブラウンが乗車していた車もあった)や空港わきのアンテナの上を何とか通過し滑走路27L脇の芝生の上に不時着。

その衝撃で右主脚は脱落し左主脚は左主翼を突き破り航空燃料が漏れた。が、機体は修理不可能な全損扱いになったが、主脚が衝撃を和らげたおかげでキャビンへの被害は軽微で済み、乗員乗客のうち47名が怪我をしたが全員が脱出に成功し生還した。

メーデーにてインタビューに応じたバーキル機長曰く「自分たちが生き残ったのは奇跡、しかもチェックリストを済ませた後乗客の2割は死亡していると危惧しながら客席を見にいったら、乗客は全員脱出した後で誰もいなかった」とのことだった。


難航する事故調査編集

事故に巻き込まれながらも生還した38便の乗員は一躍ヒーローとしてマスコミに扱われ、ブラウン首相も「バーキル機長以下乗務員がとった冷静でプロフェッショナルな判断が多くの人命を救った」と称賛。


一方事故原因の調査を始めた英国航空事故調査局(AAIB)の調査官たちは、機体はほぼ原形を留めていて乗員乗客も全員無事だったため、当初、事故の原因をすぐに解明できると考えていた。


…が、彼らやマスコミの予想に反し調査は思わぬ苦戦に見舞わされる。


乗務員への聴取からエンジンが同時に不都合を起こしたことを知った調査官たちは、まずは火災こそ起きなかったものの全損した機体から思いっきり燃料が漏れていたため燃料切れを原因から除外。


フライトレコーダー(FR)やクイックアクセスレコーダー(QAR)を探しても機体の不都合は見つからず2005年8月1日にマレーシア航空124便(この時も犠牲者はナシ)の時のコンピューターの不都合路線も消える。燃料系統の破損も事故の衝撃によるもの以外は見受けられず、燃料汚染の路線も外れ、製造された際に誰かが左タンクに置き忘れたと思われるプラスチック製のスクレイパーと小さなテープの切れ端も事故とは関係ないことが判明。

シベリア上空を経由したことからことから航空燃料そのものが凍結した可能性も探るがこれも外れ。


一方でエンジントラブル発生後の機長の判断はフラップ操作も含めて飛空距離を伸ばし何とか空港までたどり着くことができたという妙手であったことは判明する。


試行錯誤してはそれを除外氏の繰り返しで、AAIBもマスコミも航空業界もB777に不安を募らせる日々が過ぎてゆく。いつしか調査官の中にはシャーロック・ホームズの決まり文句である「残されたものはいかにありえなさそうでも、原因にちがいない(when all other contingencies fail, whatever remains, however improbable)」とつぶやくものも出始める。


ようやく暴かれはエンジン喪失トリック編集

そうして調査した結果「燃料に含まれる水分からできた氷が詰まったのではという仮説も浮上」。が、実験で38便の状況を再現したところ一応-20℃で氷はできたがパイプにいくらか付着したが全部が詰まるという事態には至らない。


そうこうするうちに今度は約10ヶ月後の2008年11月26日のデルタ航空18便同型機が同じようなエンジン不都合に見舞われる。この時は上空3万9千フィートを航行中で高度に余裕があり不都合があったエンジンをアイドリングさせてエンジンを復調させることに成功し、機体は無事アトランタ空港にたどり着いた。

その時も強風に見舞われたときにオートスロットルが噴かされ一時的にエンジン喪失したことから、再現してみたところ、それまで一定の燃料を流していたのが風に対応するためオートスロットルを噴かせたことで燃料の流量が増えその拍子にパイプ内に付着していた氷が一気にはがれてFOHE(燃料/オイル熱交換器)に一斉に溜まり、しかも777はFOHEの床部分であるパイプの集まりをまばらにした新規設定が裏目に出てFOHE内の氷がなかなか溶けないことが判明、ようやく事故原因の究明にたどり着いた。


また、これにより上空ほぼ4万フィートで高度に余裕があり立て直す操作が行えたデルタ航空18便とは異なり、バーキル機長らが担当した38便は着陸寸前でリカバリ操作が行えない時点でトラブルが起こったため、同便の乗員に落ち度はなかったことが明記。乗員たちは晴れてヒーローとなりイギリスのパイロット最高の栄誉であるセーフティーメダルを授与された。



関連タグ編集

航空事故 有能回

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フィクションじゃないのかよ!騙された!


エコノミー症候群:凍結した燃料が配管を閉塞させたことが原因だった事から例えとしてメーデー民により使われる

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