概要
Majestic Prince(1966年~1981年4月22日)
アメリカ競馬史上初めて無敗でクラシック二冠を制したが、負傷をおして出走したベルモントステークスで2着に敗れ、引退した。
その人気から「ザ・プリンス」、カメラを向けるとポーズを取ってくれる事から「ザ・ハム(大根役者)」と呼ばれた。
1988年、アメリカ競馬殿堂入り。
プロフィール
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
父 | レイズアネイティヴ |
母 | ゲイホステス(母父:ロイヤルチャージャー) |
生産者 | レスリー・コブス2世 |
馬主 | フランク・M・マクマホン |
調教師 | ジョニー・ロングデン |
生涯成績 | 10戦9勝 |
来歴
1966年
スペンドスリフトファーム(ケンタッキー州)に誕生。
1967年
キーンランド9月セールに出品され、カルガリーの石油商フランク・M・マクマホンにより、1歳馬としては当時史上最高取引額となる25万ドルで購買された。マクマホンと懇意であったジョニー・ロングデン調教師に預けられた。立派な体格だったが、右前脚に不安を抱えていた。
1968年
11月28日、ビル・ハータック騎手を鞍上にベイメドウズ競馬場(カリフォルニア州)の未勝利戦(ダート1200m)でデビューし1着。
12月26日、サンタアニタパーク競馬場(カリフォルニア州)で行われた一般競走(ダート1200m)に出走し従兄弟のライトクロスにハナ差の1着。
1969年
1月7日、ロスフェリスステークスに出走し、ライトクロスに4馬身差をつけて1着。
2月6日、サンヴィンセントステークスに出走し1着。
2月27日、サンハシントステークスに出走し1着。
3月29日、サンタアニタダービーに出走し1着。馬なりのまま8馬身差をつけての圧勝だった。
4月26日、チャーチルダウンズ競馬場(ケンタッキー州)へ遠征。ステッピングストーンパース賞に出走し1着。
5月3日、ケンタッキーダービーに出走し1着。
5月17日、ピムリコ競馬場(メリーランド州)へ移動し、プリークネスステークスに出走し1着。無敗の二冠馬となった。
5月18日、ロングデン調教師が記者会見を開き、マジェスティックプリンスの右前脚の腱に異常があり、ベルモントステークスへは出走せずカリフォルニアに帰って休養させる事を発表した。しかし、マスコミの煽り記事がプレッシャーとなりマクマホンが出走を決定する。
6月7日、ベルモントパーク競馬場(ニューヨーク州)でベルモントステークスに出走し、アーツアンドレターズの2着に敗れる。レース後に右前脚靱帯の損傷が判明し、カリフォルニアに帰って休養に入る。
1970年
復帰できないまま登録を抹消し、引退。生まれ故郷のスペンドスリフトファームに繋養され種牡馬となる。
1981年
心臓麻痺により死亡(15歳)。
主な産駒
コースタル マジェスティックライト センシティヴプリンス エターナルプリンス