概要
1170年生~1223年没 漢字では木華黎と書く。
ジャアト・ジャライル氏族の出身でチンギス・ハーンの有力な功臣である「四駿」の一人に数えられる。
最初はチンギス・ハーンの親衛隊であるケシクに所属し、以後はモンゴル統一に貢献して
1206年のチンギス・ハーンの第二次即位の際は功臣第三位で万人長に任じられる等重臣の中でも特に重んじられ信頼された。
以後は金討伐に従事して功績を挙げ、1217年にはチンギスより国王の称号を与えられチンギス・ハーンらが西のホラズムへの大西征を行う一方でムカリ自身は中国北部での金討伐を任され漢人軍閥と共に戦い続けた。しかし、存命中に金の完全征服はならずにチンギスに先んじて1223年に病死した。
ムカリの子孫はモンゴル帝国及び大元王朝の名門として重んじられる事になる。