概要
現役時は未勝利だったが、優秀な繁殖成績をおさめ、アメリカ最大の牝系の祖となった。
馬名の「ラ・トロワンヌ」は「トロイの娘」で、母「エレーヌ・ド・トロワ」が「トロイのヘレネ(トロイア戦争の原因となった美女ヘレネ)」である事から。
プロフィール
性別 | 牝 |
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毛色 | 鹿毛 |
父 | テディ |
母 | エレーヌドトロワ(母父:ヘリコン) |
生産者 | マルセル・ブサック |
馬主 | マルセル・ブサック→エドワード・ライリー・ブラッドリー→グリーンツリー・スタッド |
競走成績 | 7戦0勝 |
略歴
1926年
フランスの名オーナー・ブリーダーとして知られるマルセル・ブサックにより生産された。
父は種牡馬としてアステリュー、オルテッロ、サーギャラハッドなどを輩出したテディ。
母のエレーヌドトロワはそれほどの活躍馬ではなかったが牝系は優秀であった。
血統・馬体とも申し分なく、1歳上の全兄レオニダスがミュニシパル賞とリンカーンシャーハンデキャップを勝っていたため、ブサックはラトロワンヌに期待をかけていた。
1928年
9月、ロンシャン競馬場のサブロンヴィル賞でデビューしたが、着外に敗れた。
次走もロンシャン競馬場のアレンベール賞だったが、着外に敗れた。
1929年
クロエ賞で着外、プール・デッセ・デ・プーリッシュ(フランス1000ギニー)で着外に終わる。
ブサックは環境の変化による成長を期待してラトロワンヌをイギリスに遠征させた。
スネイルウェルステークスで3着、フレッケンハムステークスで2着と好走するが、ウェルターハンデキャップでは着外となり、未勝利のまま現役引退となった。
1930年
ブリーダーとしては合理的で冷徹なブサックだったがラトロワンヌについては心残りで、良い買い手がつくよう人気種牡馬を種付けした上で競売にかける事とした。
12月、ニューマーケットのディセンバー・セールにゲインズバラの仔を宿した状態で出品され、エドワード・ライリー・ブラッドリーの所有するアイドルアワーストックファーム(ケンタッキー州)の牧場長オリン・ジェントリーが1250ギニーで落札し、アメリカに輸出される。
1931年
ゲインズバラとの仔は競走馬登録前に死亡。
1932年
2番仔のブラックヘレンが誕生。その後も次々と優秀な産駒を出産した。
1938年
稲妻に驚いて暴れ、木に激突して右肩に大怪我を負った。安楽死が検討されるほどであったが、必死の介護で回復する事ができた。事故の後、バックパサーの祖母となるビジネスライクを産んでいる。
1946年
ブラッドリーが亡くなり、アイドルアワーストックファームは解散。ラトロワンヌはロバート・クレベルク、オグデン・フィップス、ジョン・ヘイ・ホイットニーの3人に買い取られ、最初はクレベルク所有のキングランチ、後にホイットニー所有のグリーンツリースタッドに移動。
1948年
最後の仔となるトロージャンウォーが誕生。
1954年
1月30日、死去(28歳)。
2010年
ラトロワンヌの功績を称え、ルイビルブリーダーズカップハンデキャップがラトロワンヌステークスに改称された。
主な産駒
1935年アメリカ最優秀3歳牝馬のブラックヘレン、1940年アメリカ二冠馬のバイムレックなどを輩出。産駒14頭のうち5頭がステークス競走を勝っている。
活躍できなかった仔も繁殖入り後に成功をおさめた牝馬が多く、現在のアメリカ最大の牝系の祖となった。
日本の競走馬でも、ダイナアクトレス、スクリーンヒーロー、メジロアサマ、メジロパーマー、コントレイルなどがラトロワンヌの血を引いている。