以下の意味がある。
画家
この画家は1864年フランスで生まれ、1901年に亡くなった。的確に対象の形態や内面を見抜き、その特性を以て19世紀のパリ風俗画作品や当時発達した石版印刷のポスターの原画などを手掛けた。また彼のポスターやリトグラフには日本美術(浮世絵など)の影響がみられるとされる。彼は小さき男、偉大なる芸術家(フランス語:Petit Homme,Grand Artiste)と呼ばれることがある。
生涯
この人物は1964年に貴族の家に生まれる。彼が8歳の時に両親の不仲で母親についていくことになる。
ところが、10代前半で足(大腿骨)を骨折したのがもとで足の生育が止まってしまう(そのため足が子供のままの長さであり、それに伴い身長も160㎝に届かない、また、歩行にも不自由であったとされる)。この状況のため父親の元に戻るが、父親からは愛されず、活動も制限される状況になった。
18歳になるとパリに絵画の修行に出る。その後、ダンスホールや酒場、娼館などに入り浸り、酒浸りの自堕落な生活を送った。
この生活は彼の作品の作成には寄与したものの、同時に彼の生命をむしばんでいった。悪所通いにより梅毒に感染し、さらにアブサンの中毒も併発し、家族によりサナトリウム(長期的な療養を必要とする人のための療養所)に強制入院、しかしおそらくはすでに手遅れだったらしく、短期間で出所し、1901年に実家に引き取られたもののその後1か月もたたずに死亡。死因は脳出血であったとされる。
そのほか
- 彼の姓は「トゥールーズ=ロートレック」と呼ばれることがある。
- 彼の足の育成が止まった奇形に関しては、一部では近親相姦(いとこ同士の婚姻)の影響があるのではないかといわれている。
- パリでの絵画修業中、ファン・ゴッホやエミール・ベルナールと出会う。
- モデルであったシュザンヌ・ヴァラドン(モーリス・ユトリロの母でもある)のデッサン能力を見抜き画家としてのデビューをさせた。
- 彼の通った店の中にはキャバレーであるムーラン・ルージュがある。
- 彼の最後の言葉「Le vieux con!」は、最後まで彼を認めなかった彼の父親にあてたものだといわれている。
pixiv
この人物の作品をモチーフにした作品やパロディ、あるいは本人(前述のとおり身長が非常に低かった)のイラストが投稿されている。小説作品も存在するようである。