概要
旧日本海軍の巡潜甲型改二2番艦。伊四〇〇型建造計画の縮小によって、伊号第十三潜水艦共々に建造途中から潜水空母へと艦種を微妙に変更している。
1944年に神戸・川崎造船所で竣工。
昭和20年7月「光作戦」の為、僚艦の伊号第十三潜水艦ともども出撃命令が下る。
伊号第四百潜水艦と伊号第四百一潜水艦による攻撃が予定されているウルシー泊地偵察のため、彩雲をトラック泊地に輸送することになった。
昭和20年6月26日、事前に愛知県挙母基地、千葉県木更津基地より空輸されていた彩雲4機が大湊に到着。両機は分解され、本来であれば攻撃機「晴嵐」を格納する格納等に収められた。
この作戦では、
厳重となった哨戒網で伊13を失ってなお輸送には成功したものの、攻撃作戦に移る前にポツダム宣言が出され作戦は中止、
伊号第十四潜水艦は大湊への帰還中を米軍駆逐艦「マレー」「ダシール」に拿捕・接収された。その後一年ほどアメリカ海軍の軍事演習等に使用され、最終的にはアメリカがソ連への潜水艦技術の流出を恐れたことでハワイ沖に自沈処分させられた。
海軍酔夢外伝
この伊号第十四潜水艦、乗員達がネジが外れたレベルの酒豪の集まりだったことでも知られる。
- 建造期間中、乗員が神戸の繁華街で兵員特権を乱用して夜な夜な飲み明かす。
- 乗員仲間に新郎が出来、祝いに向かったが家が留守だったので持ってきた祝い酒2本を先に開けて空にする。
- なお、新郎宅の大家もわざわざ肴を振る舞って「酒でも飲んで待っててください」と言い出す。
- 結局、新郎夫婦が帰ってきてから酒を干してしまったことに気付き、酒保に連絡するも関係者は留守、知人に連絡をとりつけて自分たちの酒を持ってこさせて、改めて祝杯をあげたという。
- 訓練終了後に別府に入港した際、管制室で酒盛りが始まり、騒ぎを聞きつけた他の乗員も便乗して宴会を開始。朝まで飲み明かしてうち1名は飲み過ぎで吐血し、病院送りに。
- なお宴会を始めたのは新郎用の祝い酒を飲み干した先の二人と同じ。
- 能登半島の七尾を目指す途中で北九州の門司に寄港した折、艦長が上陸して不在なのをいいことに乗員達が酒盛りを勝手に開始。その最中に米軍機による空襲が発生するも、対空戦闘に備えた一部の乗員を除いて空襲を肴に酒盛りはフィーバー状態に。
- 空襲警報で門司港周辺が静まり返っている中での事であったため、ドンチャン騒ぎの様子は港中に響き渡った。当然ながら艦長の耳に入らないはずが無く、急遽予定を変更して駆け付ける羽目に。もちろん艦内は来るはずの無い艦長が来たとあって別な意味で大変な事に。自分がいない間に起きた馬鹿騒ぎで大恥をかかされた艦長によりこの時酒盛りをしていた者全員シコタマ怒られた。
- 七尾港で荒天時の訓練中、同じく七尾港で訓練中だった伊号第四百一潜水艦の乗員たちが半舷上陸を許可されて街に出たと聞き、訓練後に艦内でその愚痴を肴に酒盛りが始まる。
- 「光作戦」が発令され戦地に向かう前日の舞鶴で、艦長命令で痛飲が許可され、連日連夜の酒盛りが催された。
- 別名「シへんに酉(とり)」との戦いと呼ばれ、「これが一番きつかった」と記録される。
- 大湊に寄港時、休暇が許されて東北出身者は帰郷許可が下り、遠方出身者も家族の呼び出しが許された。
- ことのとき生後4カ月の娘を連れたある乗員の奥方がお見舞いに駆け付けたことを口実に、旅館を貸し切ってどんちゃん騒ぎをおっ始める。
- スクリューの故障で出撃が出遅れて浅虫に寄港した時、乗員2名が夏だというのに外套を着込んで基地外へと外出。外套の下に酒瓶を1本ずつ隠して旅館街へと繰り出し、翌朝ヘベレケになって帰ってきた。
- わざわざ外套の内側を改造し、上官に見つかった場合に敬礼しても酒瓶が落ちないよう細工していたという。
これらのエピソードは当時の搭乗員の手記や記録、回想によって残された事実である。竣工から半年、確たる武勇もなく米軍に接収された彼女だが、彼女と苦楽を共にした乗員達は別の意味で伝説を残したといえる。
関連タグ
1番艦伊号第十三潜水艦 2番艦伊号第十四潜水艦 3番艦伊号第十五潜水艦(2代目)
4番艦伊号第一潜水艦(2代目)
伊14(艦隊これくしょん) 伊号第十四潜水艦をモチーフにした艦娘