生年不詳 - 文久3年8月10日(1863年9月22日)
概要
出自は不明で、長州藩の久坂玄瑞が間者として送り込んだとされる(諸説あり)。
文久3年(1863年)3月10日頃、斎藤一と共に壬生浪士組(新撰組)に参加したとされる。
佐伯は副長助勤を務め、芹沢鴨の一派と行動をともにしていた。
京都守護職・松平容保の前で、平山五郎と剣術の試合を披露している。
謎の死
ところが、 同年の8月10日(1863年9月22日)に佐伯は、京都嶋原で何者かの手で殺害された。
佐伯の死の諸説は以下のとおり。
芹沢が殺害
久坂ら長州藩士が殺害
- 嶋原で複数の長州藩士にからまれ、なぶり殺しにされた。
- スパイとしての行動に落ち度があった、あるいは二重スパイ行為がばれた。
- 新撰組隊内に潜入していたが、佐伯の怠慢で情報を久坂に流さなくなり、本格的に新撰組に身を置くようになったので久坂により誅殺された。
創作
新選組!
今作では長州からの密偵説ではなく、浪士組(後の新選組一行)が屯所として世話になる八木家に奉公していた侍志望の下男という設定であり、登場当初は名字もなかった。
近藤・芹沢両一派が京に残る事になったのをきっかけに、彼らが結成した壬生浪士組(水戸派は精忠浪士組と名乗っていた)に入隊、以降芹沢一派(水戸派)の腰巾着になる。
典型的な『上に媚びへつらい、下に威張り散らす』小物で、浪士組に入隊以降、元主人である八木家の人達や市井の人々に対しては傲慢に接し、芹沢には常に胡麻を擂り続け、取り入ろうする態度が露骨だった事から、結果的に芹沢一派、八木家双方から鼻つまみ者扱いされ、特に芹沢からは「町人上がり」と忌み嫌われる事となった。
一方では、「立派な侍」になる夢の為に、芹沢からどんなに邪険な仕打ちを受けても「このくらいの苦労は覚悟の上や」と言ってめげることなく、自前の刀を買うために奉公人時代から金を貯め続けるなど、努力家な一面もある。
ある晩、水戸派一行(と沖田、斎藤)が飲みに出かけた際、いつもの胡麻擂りが裏目となって芹沢の怒りを買い、殴られた後、慰めようとした沖田に上述の夢を語る。
沖田からは「近藤さんなら身分の事はとやかく言わないよ」と忠言されるが、「どうせ取り入るなら偉い奴の方がいい」と考える又三郎はあくまで芹沢に取り入る事にこだわった。しかし、結果的にそれが災いとなってしまい、その直後、次の店に案内しようとしていた途中、うっかり足を滑らせたはずみに持っていた提灯を芹沢にぶつけてしまった為に芹沢の堪忍袋の緒を切らせてしまい、無礼討ちにされる形で斬殺されてしまった。しかも、貯め続けていた金も物取りの仕業にするために新見錦によって奪われる。(ただし、彼の財布を奪ったことが後に新見の破滅に繋がることになる)
そんな呆気なさ過ぎる死に様に、直前に又三郎から武士になる夢を聞かされていた沖田は悲壮に想う一方、斎藤は「奴(又三郎)は取り入る相手を間違えた。この世の中ひとつでも間違えれば、命取りになるって事だ…」と、この時、試衛館派と水戸派との間で板挟みになっていた沖田への忠告も兼ねて冷淡に評した。